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モラハラを指摘するのってモラハラじゃね?

本日はモラルハラスメントについてです。よろしくお願いします。

 

年末年始ということもあり、実家に帰省しています。

実家は九州なのですが、九州には古の家父長制がいまだに根付く文化があります。

どういうものかざっくりと概要を説明すると、「結婚は家同士の繋がりである」「家で最も偉いのは家長(父)である」「女性は家を守るものである」「家事は女がするものである」といった文化です。

個人的にはこの風潮はめちゃくちゃ嫌いなんですが、郷に入っては郷に従えとのことなので、あまりにひどい場合を除いて無視をしています。

 

さて、そんな実家で年末年始を過ごしたということもあり、色々と思うところがあったので話します。

 

ではそもそもモラハラってなんでしょう?何かを述べるには定義の確認をすることが大事です。定義の確認をしましょう。

モラハラは倫理や常識を超えた嫌がらせ行為やいじめなどのことを指します。パワハラと違い職権は関係ありません。そのため、同僚や同級生同士、部下から上司に起こるケースもあります。そして職場のみならず、家庭や恋人、夫婦や親子、友人同士の間でも発生することがあります。さまざまな行為がありますが、定義としては、言葉や態度など“目に見えない暴力”で相手を追い詰める行為をモラハラと呼びます。引用元

なるほどわからん。具体例を見てみましょう。

 

家庭におけるモラハラの事例
まずは家庭でのモラハラの事例について紹介します。以下のようなケースが家庭内のモラハラにあたります。

家事や育児の否定
家事や育児はすべて妻がおこなっており、夫は一切手伝っていないのに、意見を言ったり妻の言動を否定したりするケースもモラハラに値します。

見下した発言や態度・暴言を吐く
会社の仕事が上位で、家庭の仕事を下位にみるケースも存在します。家族全体の問題でも一方的にパートナーだけを責めたり押し付けたりするような行為です。それが日常化する先には、気に障るようなことがあれば人格否定や舌打ち、暴言に発展することもあります。

束縛・洗脳をする
行動や個人の交際を制限したり、勝手な自分ルールを押し付けたりするなど、一方的に相手を求めて束縛する場合があります。「これは全部あなたのためだから」「あなたのことが大事だから」と加害者側が有利に物事を運ばせようと指導し洗脳することもモラハラです。

要は価値観の押し付けと、それに従うように圧力をかけたり、嫌がらせをしたりするというのがモラハラと考えて良さそうですね。

 

うちの父親すね。完全に。

モラハラはめちゃくちゃ嫌いなので、最近は父親によく噛みついたりしているんですが、モラハラを指摘するときに、ふと「モラハラを指摘するのってモラハラなんじゃね?」と思いました。

なるほど、モラハラを指摘することはモラハラである。ありそうですね。

つまり、モラハラという価値観を押し付けているのではないかと。相手にモラハラは良くないという話をする場合、「モラハラが良くない」という価値観は普遍で不朽のものではないため、これを押し付けることはモラハラたりえますね。

モラハラを指摘するのはモラハラである」は成り立ちそうです。

 

じゃあ、モラハラを指摘することがモラハラとならないための方法を考えてみましょう。

定義から考えてみると、「言葉や態度など“目に見えない暴力”で相手を追い詰める行為をモラハラと呼」ぶんですよね。つまり、モラハラが良くないという話をする際に追い詰める形を取らなければそれはモラハラにはならないんですよね。

 

具体例から、具体的にどういう手法でモラハラを指摘すればモラハラにならないのかを考えてみましょう。

家事や育児はすべて妻がおこなっており、夫は一切手伝っていないのに、意見を言ったり妻の言動を否定したりするケースもモラハラに値します。

とのことなので、これをモラハラを指摘することに置き換えてみると「自身がモラハラをしている状態でモラハラをしていることを指摘するのはモラハラに値する」ことになりそうですね。

また、

会社の仕事が上位で、家庭の仕事を下位にみるケースも存在します。家族全体の問題でも一方的にパートナーだけを責めたり押し付けたりするような行為です。それが日常化する先には、気に障るようなことがあれば人格否定や舌打ち、暴言に発展することもあります。

とのことなので、「モラハラをするやつは人間として終わってるよね」みたいな人格否定・侮蔑表現もモラハラになりますね。

さらには

行動や個人の交際を制限したり、勝手な自分ルールを押し付けたりするなど、一方的に相手を求めて束縛する場合があります。「これは全部あなたのためだから」「あなたのことが大事だから」と加害者側が有利に物事を運ばせようと指導し洗脳することもモラハラです。

とのことなので、「モラハラはよくないことであること」を繰り返し伝え続けるのも結構厳しそうです。ただし、「行動や個人の交際を制限したり、勝手な自分ルールを押し付けたりするなど、一方的に相手を求めて束縛する場合があります」とのことなので、相手の同意を得られればモラハラとはならなそうです。

 

上記の観点を鑑みるに、両者が納得できる共通認識(今回であればモラハラをどう捉えるか)を探り当て、その実現に向けて歩み寄る姿勢が大事そうです。

共通認識を作らなければそれは一方的なルールの押し付けとなり、モラハラとなります。したがって、まず初めに対話により「モラハラが悪である」という共通認識を持つことが必須となります。

共通認識ができさえすれば、その後はモラハラ行動への指摘はモラハラにならなくなるので、人格否定や侮蔑表現に留意しつつ、指摘を続けていけば良さそうですね。

 

 

本日はモラハラの指摘がモラハラたりうるのかについて話し、モラハラの指摘がモラハラにならないための施策を考えてきました。

みなさんもモラハラを目にした際は上記の手法でモラハラと戦っていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸 モラハラするやつと対話して、モラハラが悪であるという共通認識を作り上げるのクソほど困難なミッションだなって思いました

 

 

 

 

 

 

アインシュタインの人