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どうも人付き合いが苦手らしい

バレンタインにLINEギフトで彼女からチョコをもらった。

 

その発送手続きが今日終わったらしく、「明日届くらしい、わくわくしている」という話を彼女にした。

「私にもらったから嬉しいのか?」と言われたので、「あなたにもらったから嬉しいわけではないが、このチョコレートをあなたと一緒に食べられるのは嬉しい」と答えた。

 

 

 

 

 

こっぴどく怒られた。

「あなたにもらったから嬉しいわけではない」というフレーズが許せなかったらしい。

 

あるプレゼントをもらったとして、プレゼントに対して嬉しいとは思うが、くれた人が誰だから嬉しいとはならなくないか?と伝えたが、余計に怒られた。

 

「悲しい気持ちにさせたのはごめんなさい」

「ただ、冗談ではなく、本当になんで怒ってるのか全然わからなくて、このままだと次回以降の改善ができないので、なぜ怒ってるのか教えてほしい。「あなたからもらったから嬉しいわけではない」が怒りの原因なのはわかってるけど、これの何が悪かったのか教えてほしい。考えがまとまってからでいいから。」と伝えたところ、電話で30分ほど怒られた。

 

なによりもまず「ごめんなさい」だろう。私はあなたと議論をしたいわけではない。と怒られた。

 

 

 

俺はどうも人付き合いが苦手らしい。

「なによりもまず「ごめんなさい」だろう」。

本当にその通りだと思う。

 

 

以前に以下の記事で話した原因により、

人を愛するということ - MOSIKASITE

未だに親密な人間に対する警戒心が強い。

 

 

親密になればなるほど、比例して警戒心が強くなる。

その警戒心は、この人に裏切られたときに傷つかないように親密な人間には心を許してはならない、というものだ。

 

それが原因なのか、交際している女性からは、ことごとく振られてきた。

今回は振られこそしないものの、こっぴどく怒られた。

 

 

 

 

この警戒心は自分の心を守る鎧のようなものだと思っている。

鎧を捨て去ることができるのか、臆病風に吹かれて強固な鎧を維持して、またしても振られるのか。

 

そういう岐路に立っている、気がする。

 

 

 

怒られることは慣れていないので、鬱だったときに出ていた心臓の締めつけと自傷行為の衝動が出た。実に10年ぶりの感覚。

ひとまずそれらを抑えて、その苦しみに気づかないように、第三者の視点から見下ろしつつ筆をとった。

 

俺は俺を拠り所にして生きたいが、拠り所となる俺は世間の感覚から乖離しすぎていて、それがまた苦しい。

 

 

何が悪いのかというと、人付き合いにおいて、正論がいつも正しい答えではないのが悪い。

もしくは、俺が悪い。

 

ようやく呼吸が少し楽になってきた。

 

 

 

 

 

 

アインシュタインの人