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感受性の強い俺には東京は怖すぎる

※根拠・論理に乏しい内容となってます

 

東京はヤバい。

何がヤバいかと言うと、人の多さがマジでヤバい。

人が多いことは人にとって本当に良くないことだということを一泊の滞在で身をもって知った。

 

俺は感受性が人よりも強いと自負しているので、あまりに人が多い場所に行くと思考にノイズが出る。原因がスピリチュアル的な何かなのかまだ解明されてない電磁波的な何かなのか、俺の気の持ちようなのかはわからないが、とにかく現象として思考が鈍麻になるのを感じる。これも主観的な感覚なので客観性は全くないが、コイツはそうなのだなと思って流してほしい。

思考が鈍麻になるというのがどんな状況かというのを具体的に記すと

・自我空間の境界が曖昧になる

・社会性が著しく低下する

・判断能力が著しく低下する

という感覚。酩酊に近い(人酔いとも言える)。

 

そうなるとどうなるかというと、俺の場合は自我を維持することに必死になる。

自分が自分である感覚(アイデンティティ)が無くならないために自己顕示をしまくる(社会性、判断能力の低下はここに現れる)。

自我空間の境界が曖昧になると上述したが、もう少し雑に話すと自分と他人との区別がつかなくなると言うと少しわかりやすいかもしれない。

 

とにかく、俺が俺である、他人が他人であるという当たり前の認識ができなくなって、他人が自分であるかのように、自分が他人であるかのように感じる。

何を言ってるかわからないと思うが、俺もわからない。でも、"そう"なった。

 

そして、個体差はあれど、これはきっと俺以外の人間にも起こりうる現象だと思う。

東京という人間の掃き溜めのような場所で自我を失い、自分と他人との区別がつかず、喘ぎ苦しんでいる人間は相当数いるのではないかと考える。人間の掃き溜めでは人間それぞれは唯一無二の存在であるという認識が希薄になるのではないかと考える。

そうなると人間は自分自身でさえも唯一の存在であることを忘れて、自己の輪郭をハッキリさせるために、何かに依存を始める。対象からの相対位置によって自己を認識しようとする。

自我空間が曖昧な状況を打破するために、薬物や酒に依存して、曖昧な自我空間を認識することすらも拒絶したり、他者に依存して、その他者の目を通じて自分自身を明確化させたり、そういったことが起こる。

 

東京の街を歩いていると其処此処にナンパしてほしそうな顔をした女性がいた。(あまりに女性蔑視すぎる表現ではあるが、危機感を伝えるために俺の感じたものをそのまま表現させてほしい。)

どこか虚ろな目で「自分は軽々しくナンパされるような人間ではない」というプライドと、何かに誰かに認められて所属したい安心したいという不安が入り混じったような表情で、自動販売機前の目立つ場所にすわりこんでいた。

こういった人がもし一夜限りの関係を持ち、そうして子どもができた場合、奇跡でも起こらない限りその子どもは不幸な結末を迎えるだろう。(念のため言っておくが、そういった女性を批判するつもりは一切ないし、ましてそういった女性が世の中にとっての悪であるなどとは考えていない。すべては東京という地域の特異性がもたらした産物であると考えている。)

子どもができずとも、これは対症療法に過ぎず、根本的な解決には至らないパターンが多い。一刻も早く原因療法を施さねばならないだろう。

 

ちなみに男性はというと仕事・職場という所属意識からかそういったタイプの人間は少ないように感じた。せいぜい飲み屋で馬鹿騒ぎしてる程度である。

 

 

少しだけ触れたが、子どもの話を深掘りする。

東京という地域の子どもへの影響は凄まじいと思う。大量の人間が存在する場所で、その大量の人間の誰一人もが自分を認識していないかのように振る舞われる恐怖は想像するにおぞましい。行く人来る人が自分を見ていて自分を見ていない。歩道にあるポールと同じ扱いを受けるのである。

そんな中で子どもは親への所属を希求するが、その親でさえも東京という魔境に侵されている可能性が高いのだ。他人を所属させるような余裕がないか、共依存を生み出すわけである。

そうなれば本当に目も当てられない。シェイクスピアでもこんな悲劇は書けない。

 

東京はヤバい。

 

 

 

 

 

アインシュタインの人