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私の母と自分

めちゃくちゃお久しぶりです。

昨年末から今年にかけて自分の頭で抱えきれないことが多すぎて、気持ちのアウトプットを羅列してみます。

文章を読むことは好きだけど書くのは下手で、苦手意識が強い分遠回りな言い方になります。読みきれた人は私の脳みそと構造が似てる、

 

わたしが7歳の頃に蒸発した母と昨年秋頃から連絡が取れるようになりました。

ことの発端は姉のインスタの閲覧履歴に母と同じ名前のアカウントが見つかったこと。全てのストーリーに閲覧履歴があり、DMしてみたところ母本人だったと連絡があり連絡を取り合うようになりました。

 

両親は私が5歳くらいの頃離婚し、私と姉は母と共に母方の祖父母の家に引き取られました。当時の私は母が大好きで父と離れることを1ミリも寂しいと思っていなかったことをよく覚えています。

祖父母の家での暮らしは不自由も不満もなく楽しく過ごしていました。母は交友関係が広く(小さい頃の記憶なので詳細は知らんが)いろんなおじさんお姉さんと一緒に遊びました。その中で「こばちゃん」というおじさんと会いました。ほとんど記憶にありませんが、レジにベルトコンベアがついているスーパーでお菓子を買ってもらった思い出があります。

 

小学校に入学して少し立った頃、母がいなくなりました。

学校から帰宅すると母はおらず、手紙が置いてありました。内容は全く覚えていませんが大泣きしたことは覚えています。祖父母にいつか帰ってくるからと慰められなんとか元気に学校に通っていました。同じ頃に祖父の病気が悪化し入院するようになり、2年生になった頃に亡くなりました。親戚の人から「母がいなくなって元気がなくなっちゃったんだね」と言われ、母のせいで祖父が死んだんだと思いました。

祖父が亡くなる前、自分が死んだら祖母の親戚のいる山口に引っ越せと遺言を残していたらしく山口に引っ越すことになりました。私は母が帰ってくるかもしれない家から離れたくなかったのですが、「おじいちゃんがいなくなったら引っ越さなきゃいけない」と言われると何も言えなくなりました。

 

山口に引っ越してから母と同じ車や、同じ背格好の女の人を見るたび祖母に「ママが山口にいた」と報告していました。祖母に違うと否定されるたび泣いていたのを覚えています。

山口の小学校にも馴染み、3年生になるくらいには母のことは全く思い出さないようになりました。覚えていることは私は母が大好きだったらしい、という事のみ。

 

思春期を超えたあたりから母の家出の詳細を聞かされました。

男の人と一緒に蒸発したこと。その男の人は「こばちゃん」であること。「こばちゃん」には奥さんがいたこと。「こばちゃんの奥さん」に母とこばちゃんを匿っているんだろうと祖母が何度も問い詰められていたこと。

覚えていないけれど、当時私だけが母に一緒に来るか聞かれていたこと。

母との思い出を忘れた私にとってそれは最悪の女の話に聞こえました。自分は何かあってもこうならないようにしようと誓って今まで生きています。

 

そんな母と今年のGWに会いました。

会う前は色々問い詰めようと考えていて、迷惑料でも貰おうかなと思っていました。ただ実際に会ってみると考えていたことは何にも言えませんでした。

1番迷惑をかけられた祖母が母に対して何も言っていないこと、自分の中で母に対する感情が落ち着きすぎていたことが原因なのか?と自分では思っています。

私は母と会うべきでも会話するべきでもないなと思いながら話しかけられたら話してしまうしメッセージが来たら返信してしまう。

チグハグな気持ちのまま接している。自分の気持ちの深いところがずっと重苦しいモヤモヤした感じ。家事や仕事で使うエネルギーが頭の中で消費されて何事にもやる気が起こらない。

母のことを考えているエネルギーに私の全てが持っていかれているような感じ。

解決しようと思えばできるだろうにやれないのは私が大人になったからなのか…

 

自分が結婚を意識する年齢になり、実際結婚の話が出ている中で母と連絡をとるようになり自分も母と同じ道を辿ってしまうのでは。子供ができても無責任に捨ててしまうのではという不安が頭の中を支配しています。母と過ごした記憶のない私が母になれるのか。

母に何も言えないのは私が母と似ているからじゃないのか。頭の中ぐちゃぐちゃ、5月病の気だるい時期に仕事の繁忙期が重なり自分の身だしなみも整えられないくらい気持ちが真っ逆さまです。

 

吐き出して少しスッキリ。

母と食べたきしめん

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さやねぇ