「暗号化されたデータ」
というものを見たことがあるでしょうか。
通信を行う際に傍受等を防ぐために、データを暗号化するというものです。
インターネットの話には疎いので、リアルでの話に変換しましょうか。
傍受を防ぐために信号を暗号化するという手法は軍事的な場面でよく目にしますね。
暗号化がなぜ有益かというと、その暗号化された信号を受信する側に暗号を解くノウハウが必要だからです。
なので、発信側と受信側でこの信号はこういう風にすると解読できるよという決まりごとを作っておけば、その決まりごとを知らない第三者が例えその信号を傍受したとしても解読ができないから意味が理解できないんですね。
モールス信号を例にとるとわかりやすいかもしれません。モールス信号とは「トン」と「ツー」の短い音の組み合わせによってアルファベットを表現する信号のことです。これは厳密には暗号ではありませんが、受信する側にそれを解読するノウハウがなければ「トン」と「ツー」の音の集合にしか聞こえません。
……なんでこんな話を始めたかというと、ひと昔前に言葉も暗号だなと考えたのをふと思い出したからです。
暗号の説明は本題ではありません。いや、本題だけども。
私達が使う言葉は、私達の心の表出です。
心で思ったこと考えたことを言葉として発信する。それを受信する。そういう現象をコミュニケーションと私達は呼んでいます。
しかし、この言葉というものは非常にデータ量が少ない。私達の心の半分も表現できていないと私は思います。
つまり、心を言葉として表出する段階で、すでに損なわれたデータが相手に発信されているわけです。その辛い気持ちや悲しい気持ち、苦しみ、不安、喜びは言葉として表現された時点でかなりのデータ量を損なっています。
そしてそのデータの損失は受信時にも発生します。
すなわち、言葉から気持ちを解読する際にまたしてもデータが損なわれてしまうのです。
「そんなつもりで言ったんじゃない!」が起こるのはこのためです。
そんなあやふやで曖昧で綱渡りのようなコンテンツを未だなお利用するしか術はないほどの技術力しか、私達人類は持っていません。
子どものころに読んだSF小説やSF漫画で、私達はテレパシーという現象を目の当たりにしました。頭の中で念じるだけで相手の頭の中に言葉が響くというものです。
今、それを想像し、思うのはせっかくテレパスという現象まで思いついたのになぜそこに言葉を介在させるのかという疑問です。
言葉を使えばデータは損なわれる。相手の思うことを丸々追体験する段階まで想像を働かせてほしかったなと思います。
そして、もしそれが可能になれば、人はいよいよどうなってしまうのか。考えてみるととても怖くなりますね。
街中の人々の心境を追体験できる状況というのは、確実に心のキャパシティを超えるでしょう。無論、誰もが誰かの心境を傍受できるような状況にはならないでしょうが、それでもそれはすごく楽しそうだなと、ワクワクしますね。
あの日、あの人は、どんな気持ちだったのでしょう。
そんな妄想が膨らみます。
本当の意味で嬉しいことや、悲しいことをふたりで分かち合うことができるようになる日が来るかもしれませんね。
でもきっとそんな世界は不幸になりますね。
知らなくてもいいことが世の中にはたくさんありますから。
アインシュタインの人