9. 好きなおにぎりの具は?
A. 魚肉
元も子もないことを言ってしまうのだが、そもそも床下はこの「100の質問にひとつずつ答えていく」というコンセプトに適性がない。
というのも、これまでの記事を読んでくれた人なら察するかもしれないが、床下は非常にめんどくさい性格なのだ。
床下にとって完璧な存在というのはジブリと真木よう子ぐらいである故に、これが好き!となって何かに熱中したり傾倒することは非常に稀であるし(大抵完璧ではないので)、逆に嫌いと思ったものも「いやどこか好きになれるところがあるんじゃないか」と特長を追求する。
物事は多くの長所と同じくらいの短所が折り重なって構成されているものがほとんどなのだから、総合的に評価すれば「中の中or中の上」という結論に床下は至ってしまうのだ。
今回の質問に関してもそうだ。好きなおにぎりの具など、作り手やその形状、そして食べるときの環境によって変わってくる。
だからこそ、今回の回答もおよそ普通の人がしないような良く分からないものとなっている。だが床下の中では完全なるロジックが存在していて、魚肉と回答することに何のためらいもないのだ。
ということで、完全に自己満足で魚肉と回答した経緯について述べていこうと思う。
先にも述べたが、おにぎりという存在も多くのファクターの掛け合わせによって存在している。そのファクターをおおよそに大別してみると大きさ、形状、温度、海苔の乾き具合、作り手などがある。これらファクターの中でも、海苔の乾き具合と作り手はかなり重要である。というのも、これら二つはおにぎりの味にダイレクトに関わってくるものだからだ。よって、この二つのファクターに床下は焦点を当てていくことにした。その結果として、三種類のおにぎりがあることに気付いた。一つ一つ解説していく。
①親の作るおにぎり(海苔:ウェット、作り手:母or父)※長いので「親ぎり」と略す
多くの人間が初めて口にするおにぎりは恐らくこの親ぎりだと思う。このおにぎりに対するファーストインプレッションが各々のその後の「おにぎり論」の基礎になることは間違いない。
床下はというと、親ぎりであれば具は間違いなく「鮭」を選択する。
何故かというと
米の量が尋常ではないからだ。
男子高校生を経たものであれば誰もが一度は疑問に思うだろうが、親ぎりというのは何故あんなにもでかいのか。
子は親の背中を見て育つというが、実は親ぎりの背中を見て育っているのではないかとさえ思えてくる。
それほどまでに親ぎりはでかい。
では何故でかいことが具を鮭にすることに繋がるかというと、それは我が家の鮭が辛口だからなのだ。スーパーで売っている焼き鮭には塩加減にレベルがあり、床下家では昔から辛口をチョイスしている。
つまり、その塩辛さによって親ぎりを親ぎりのみで食べつくすことができるのだ。おかずを買えばいいじゃないかという意見は勿論あると思うのだが、床下はそれを良しとしない。
おにぎりはおにぎりで完成されている食べ物であってほしいという思いがあり、おかずを買うことは中に込められた具を冒涜することと同義だからだ。
別に炊きたての白米で作られた親ぎりであれば、米の旨味が強いため具に関わらず美味しく完食できるのだが、親ぎりを食べるタイミングというのは大抵朝に作ってもらったものを昼に食うのが普通だろう。そんな冷め切った白米を美味しく食べるには、具の重要性は計り知れない。
つまりここで鮭を選択することによって「魚肉」枠に1点が入ることとなる。次に行こう。
②地元近くのおにぎり屋のおにぎり(海苔:ウェット、作り手:従業員)※ジモぎりと略す
これは口にしたことがある者とない者がいるかもしれない。
田舎町にときたま存在するおにぎり屋が作るジモぎりは、何故かめちゃくちゃ美味い。親ぎりのように親の仇かのごとく米を圧縮したりはせず、
口に入れることで解けていく絶妙な握り具合
絶妙な大きさ
そして具のバラエティ
定年退職したらこのおにぎり屋で働いてくれと両親に言いたくなるほどにジモぎりは格別である。
中でも「チーズおかか」は最高である。
高校時代の床下は初めてこのチーズおかかを食べたとき、あまりの美味さに衝撃を受けた。例えるならそう、Base Ball Bearのレモンスカッシュ感覚という曲のサビに近い感覚があった。
I Feel, レモンスカッシュ感覚 僕の中で稲妻
一生求む感覚 そう例えばラブ 例えばポップ 第六感でときめいて
レモンスカッシュ感覚 僕の中でフラッシュバック
一生消えぬ感覚 振り向いた君の輝き
この曲は衝撃的に恋に落ちた人を歌っているが、対象が君かおにぎりかの違いだけで、思いは同等のものだ。
とにかくチーズおかかは間違いなく床下の「おにぎり論」に大きな改革をもたらした具と言って良い。
しかし残念なことに、この具が総合評価として一位になることはないのだ。
というのも、あまりの美味さに床下は親に頼み込んで、親ぎりの具をチーズおかかにしてもらったことがあるのだが、どうにも何かが違うのだ。
つまり、あくまでもジモぎりとしての「チーズおかか」が最高なのであって、具自体が最高というわけではない。
具自体がおにぎりという存在を超越して支配することはままならない(今回の格言ですねこれは)ということを床下はこの時学んだのだ。
とはいえチーズおかかの主役は鰹節であり、鰹節は元々魚肉なのでここでも魚肉枠に1票が投じられることになる。次に行く。
③コンビニのおにぎり(海苔:実際はハイブリッドだが今回はドライについて話す、作り手:企業)※ビニぎりと略す
読者の多くが現在最も口にしているおにぎりではないかと思う。
中には親ぎりよりもビニぎりを食べた回数の方が多くなってしまい、郷愁に駆られている者もいるのではなかろうか。
だがそんな郷愁をものともせず、ビニぎりはいつ食べても安定して美味い。ビニぎりは間違いなくおにぎりという文化を一段上に引き上げた存在と言っていいだろう。
だが床下は、このビニぎりの一番好きな具を「鮭」か「ツナマヨ」か「まぐろわさび」かで決めきれずにいるのだ。
それは、ビニぎりがおにぎりの文化を広げたからこそ生まれた深刻な問題に起因している。
シチュエーションだ。
我々が口にするだけでなく、映像作品にも多く出演するようになったビニぎりは、シチュエーションに適した具というものが存在するようになったと床下は考えているのだ。
バイト終わり、家に帰るまで空腹を我慢することができずに食べるなら、ちょっと子供っぽいツナマヨを食べたくなる。
泥まみれのニッカポッカを着てコンビニの駐車場に停めた軽トラの中でDate FMを流しながら食べるなら、昔ながらの鮭を食べたくなる。
寿司を食べたいが金は無いとき、まぐろわさびは完全な存在だ(情けなさで涙するのか、わさびのせいなのか)。
ビニぎりにとってシチュエーションは味を左右する大きなファクターと言ってもよいと思っている。
とはいえ、どれも魚肉であることに変わりはないため、ここでも魚肉枠に一票が入るわけだ。
こうして、床下の一番好きな具は「魚肉」であるという結論に至った。これ以上細分化することはできないのでご了承願いたい。
ところで、床下には唯一生理的に食べられないおにぎりが存在する。
それは、人ん家のババアが作ったおにぎり(ババぎり)である。
何故か昔から、これだけは食べることができない。
ババアはババアでもおにぎり屋のババアは平気だし
すし屋も全く問題ないし
何なら人ん家のジジイが作ったおにぎり(ジジぎり)は食える
千と千尋の神隠しでハクが作ったおにぎり(あれはおむすびだろうか)もめちゃくちゃ美味そうである
だが何故かババぎりだけは受け付けない。
ババアは手汗がすごいという床下の偏見によるところも大きいといえば大きいが、これについてはもう少し分析をしていく必要があるため、ババぎりを食べられない同志は是非情報を送ってほしい。一緒にババぎりを克服していこう。
追伸:モリオカさんへ
好きなおにぎりの具について「ちなみにわたしは梅干しです。ちょっと余裕があるときはいくらが好きです。」というご意見をいただいておりましたが、全く文章に反映させることができませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます。そもそも余裕とは何なのか気になるところです。