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教育≒フィードバック

仕事の話ばかりで本当に申し訳ないと思っている。

 

今日も今日とて職業(教育系)関係のお話です。

金のあるニートにでもならないと僕は床下さんのような面白ブログが書けないのだと思います……。金のあるニートになりてえ……。

 

さて、今日は教育ってフィードバックだなって話をします。早々にタイトル回収。

 

 

僕は日々、教育をしております。それが仕事なので。

そして毎日毎日毎日毎日、どうすれば目の前にいるこの子らが大成できるかを考えながら言い方を変え、言い回しを変え、向き合っています。

ウソです。そんな大層なことはしてません。常にこんなマインドで生きてたらストレスでハゲ散らかすわ。

 

でもまあ半分本当です。どうすればいいかなってのは考えてます。

 

 

で、1年間、もとい8ヶ月働いてみて教育および成長にはふたつのベクトルが存在するなと思ったわけです。

  1. 自ら学ぼうとすることによって起こる成長
  2. 他者から教育されることによって起こる成長

 

1ができる生徒は少ないです。全体の5〜10%ぐらいでしょうか。

みなさんの学生時代を思い出していただければ得心するかと思うのですが、勉強したい!成長したい!という気持ちは学生時代には抱きづらい感情かと思います。

その原因はトップダウン方式の教育形態にあると思っています。勉強をやってもやらなくても常に供給される学習内容と先生からの教授はいわばテレビの視聴のようなもので、主体的に何かを得ようとする努力が必要ないんですね。先生の授業もテレビもボーッと見ときゃ何とかなるんで。

受動的な学習は良くない、主体的に学ばせよと文部科学省は言いますが、教育形態が旧態依然の詰め込み型教育の手法を踏襲しているので、言ってることとやってることが違うんですよね。和菓子の材料を与えてケーキを作れって言ってるようなもんです。そら無理ってもんよ。

 

 

2は現行の教育方針ですね。与えることによって起こる成長です。説明はいらんでしょ。

 

 

んで、教育はこのふたつのベクトルをバランスよく摂取するのが大事だなと思います。

1だけを摂取すれば、ともすればマッドサイエンティストのような人間になりかねませんし、2だけを摂取すればアイヒマンのような人間になりかねません。アイヒマンというのは言葉の綾で、あれはミルグラム実験でも実証された通り閉鎖的な環境下が引き起こした負の産物ですが、まあそれはよいとして。

とまあバランスが大事なんです。

 

 

前置きはこのへんにしてここから本題です。

じゃあ教育者として取るべき行動はどういったものなのかって話です。

 

1から考えてゆきましょう。

いやいや1なんてどうしようもないでしょ、主体的に学び取るかどうかなんて生徒によるんだから。なんて思っている人は激甘ですね。砂糖の蜂蜜漬けぐらい甘いです。薄皮饅頭食うぐらいならあんこの塊食ってろよってぐらい甘いです。こっちの話です。

 

いかにして人を変えるかを考えるときは、自分は何ができるかを考えるのが大事です。自分がコントロールできるのは残念ながら自分の行動のみなので、自分の行動を変えることによって間接的に他者の行動を変えることに注力するのです。人の行動とは刺激に対する反応の表出なので、自分の行動(刺激)の変化は他人の行動(反応)の変化を引き起こすというロジックですね。

しかし、自分の行動の変化だけでは他者を動かすにはやや条件不十分でして、最終的に必要になってくるのは(大意としての)環境だと僕は考えてます。大意としての、というのは周囲の人間の行動も包括して環境と称しているからです。

 

ではそれらを踏まえて、1を助長させるにはどうすればよいかですが、これは簡単に言うと「お仕事」をさせればよいと考えています。バイトOKにする!とかそんなものではなく……。

何かと言いますと、教育者サイドが何か制作物の依頼をし、そのアウトプットをさせるという手法です。

何かをアウトプットするにはインプットが必ず必要になってきます。そのインプットを生徒に全て任せるというものです。

生徒は依頼されたニーズを満たす成果物を排出するために、どの要素が必要か、どういったタスク構築をし、どの手順で解消していくか考えて動きます。これぞまさに主体的学習の最たるものかと考えます。

 

2に関して必要となってくるのは教育者サイドの圧倒的知識量かと思います。

あらゆる分野に精通した莫大な知識量があれば、多角的に評価し、教授することができます。豊富なアナロジーは課題解決を容易にし、その手順さえも簡略化するのです。

 

 

そして、1と2の両方において必要なのは教育者サイドからのフィードバックです。

1も2もどちらも結果としてなにかしらのアウトプットが存在します。そのアウトプットに対するフィードバックを行おうよという話です。

つまりこれが変えるべき自分の行動です。

とにかくフィードバックをたくさんすることです。生徒は学校での生活しか知らないことが多いので、どの能力を特化させれば社会で通用するのかがわかりません。作品としてどんなに素晴らしいアウトプットを出したとしても、それがニーズに適合しなければ駄作となります。

その事実をフィードバックとして伝えなければ、方向性を見誤ったまま成長をしてしまいます。恐れていたマッドサイエンティストの完成です。これは避けたいですね。

また、忘れがちですが、よいものを排出した際のフィードバックも大事です。先ほども申し上げた通り、生徒は「わからない」状態なので、良いものには良いと伝えなければその能力を伸ばそうとする気持ちも退化していくでしょう。

 

そして現在の学校ではこのポジティブフィードバックが本当に足りない。叱ることに特化しすぎていて、出る杭は打たれる状態ができてしまっています。繰り返し言いますが、生徒は「わからない」状態なので、出すべき杭と出すべきでない杭の違いがわかりません。その状態で出してはいけない杭のみを叱責によって叩いてしまえば、出すべき杭でさえも「この杭も叱責対象である。みんなと同じにしなくては。」という考えになり、画一的な人間が育ってしまいます。伸ばすべき杭が頭角を現したときはチャンスです。褒めて評価することでその杭は伸ばすべき杭であることを生徒自身は理解をし、成長するのです。

これが僕が教育≒フィードバックであると考える所以です。

 

少しでもフィードバックを増やす教育者が増え、ひいてはすべての未来ある子どもたちに光あらんことを切に願います。

 

それでは、良いお年を。

 

 

 

 

 

アインシュタインの人