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絶望愛好家

今回は前回の記事にチラッと登場した絶望愛好家の話です。

 

世の中には異常性癖を抱えた人が少なからずいます。

異常性癖には色々と種類がありまして、ネクロフィリアだったりペドフィリアだったり、アベイショフィリアだったり、それはそれは説明することも憚られるような異常性癖からサディズムマゾヒズム、いわゆるSとMというようなよく耳にするものまで様々あります。

 

さて、今回のタイトル、絶望愛好家は僕の造語ですが、大別するならマゾヒズムに分類するものかと思います。そして、僕がそれだって話です。

絶望愛好家。読んで字の如くですが、とにかく絶望的なシチュエーションがめちゃくちゃ好きなんです。僕自身が根暗だからというのもあるのですが、基本的に人生に救いなど存在しないと考えているので、そういった絶望的なシチュエーションにリアリティを感じるのかもしれません。

アニメで言うと新世紀エヴァンゲリオン魔法少女まどか☆マギカ、ぼくらの、といったいわゆる鬱アニメは基本的には好きです。特に、作品に濃く関わっているキャラクターが死ぬシーンは脳汁がドバドバ出ます。エヴァで言うならトウジがダミープラグの手によって殺されるシーンやカヲル君を握りつぶすシーン。まどマギではマミさんがマミるシーンや、「みんな死ぬしかないじゃない!」って言いながら殺されるシーン。ぼくらのはコンスタントにメインキャラクターが死にますから、あえて言うなら敵を倒せば自動的に自分も死ぬシステムを認識する箇所でしょうか。あと、上には書いていませんが、進撃の巨人のリヴァイ班がやられるところも良かったです。

オリジナルの話で例えるなら、迫り来る強大な脅威に立ち向う過程で信頼していた仲間が次々と死んでいく。最後に残った主人公とヒロインであるが、ヒロインも無残に殺されてしまう。絶望の淵に立たされた主人公は生きる気力をなくし、呆気なく殺されてしまう。-BAD END- とかですかね。もしくは戦意をなくした主人公を見て敵は「興が削がれた。お前を殺すのはやめだ。」みたいな感じで主人公オンリー生存ルートとかの話も最高ですね。この手の話は仲間やヒロインの描写が細かければ細かいほど、主人公との関係性が深ければ深いほど最高です。そっちの方が絶望が増すので。

あとはアレですね、五分五分の戦力差の敵を仲間との熱い結束でようやく倒して「やった…倒した……倒したんだ!!!」って一騒ぎして「よし、早く帰ろう!アイツらが俺らの助けを待っている!」って帰還しようとした瞬間に、死んだと思われた敵が最後の力を振り絞ってメインポジションのキャラを殺す、みたいなのも好きです。上げて落とす手法、たまんねぇっすね。落差によって相対的に絶望度が増しますからね。

アニメやマンガの話に限らず、現実的な絶望も僕は好きです。40にも50にもなって6畳半のアパートに一人で住み、ファミレスのバイトで年下の上司に怒鳴られ、バイトの帰りに半額の弁当買って、テレビの音だけが響く部屋で弁当を食べる。机の上には弁当のカラが山積みで、そろそろ寝るかとテレビと電気を消すと、静まり返った部屋に隣の部屋から若いカップルのいちゃつく声が聞こえてくる。毎日毎日それの繰り返しで、自分が人間なのかロボットなのかもわからなくなっていく。最後に笑った日も最後に泣いた日も最後に怒った日もまるで思い出せない。また昨日と同じ今日が始まる。みたいなのです。最高です。もう絶望しかない。この、心が締め付けられていく感覚、喉の奥が詰まるような感覚、たまらないですよね。

 

さて、たっぷりと妄想を話しましたが、そろそろコイツやべぇな、みたいにみなさん思っているころではないでしょうか。

大丈夫です。自覚はあります。僕以外の人からこんな話は聞いたことないので、多分みんな絶望的なシチュエーションはあまり好きじゃないんだろうなとは薄々気づいています。

でも僕はこの絶望的なシチュエーションが大好きなんです。

 

そう、ここは仮説トイレなのです。壁に落書きをするかのように自分の考えを垂れ流しても許される場所。

落書きに共感はいらないのです。ただ、それを好んで見る物好きにも世の中にはいるということです。

 

その物好きを僕は大事にしていきたい。

 

そして、もしよければあなたも絶望愛好家になりましょう。絶望に直面してこそ人生の価値は輝き始めるのですから。

 

 

アインシュタインの人