仮説トイレ

わかられた…

知らぬが仏

最近また色んな人がメーンブログを更新してくれてて嬉しいです。nxyくんはうつになってしまったそうですね。お大事に。

 

さて、最近よくW杯を見ています。

もともとスポーツにはまっっっっっっっっっったく関心がなかったのですが、行きつけのバーでW杯を放送しているので酒飲みついでに見始めました。

 

 

いや、正直、めちゃくちゃ面白い。

 

今までスポーツは本当に興味がなくて、自分が6年間続けた卓球でさえオリンピックの試合を見るかどうかというレベルでした。なんならスポーツにどハマりしている人を下に下に見てさえいました。(カープ好きのトンミルよ、すまん)

スポーツに関心がなかった理由はいくつかあって、スポーツは見るよりもやる方が面白いってのと、スポーツ好きの人たちの民度の低さと、ハマるとやべえってのがわかってたってのと、まあそんな感じです。

 

ですが、どういう縁かW杯を見始めて……それからはもう、大変です。

日本が決勝リーグ行くだのサッカー強豪国のドイツが韓国に負けるだの、どっひゃー!波乱万丈かよ!って感じで、わちゃわちゃしてます。語彙力が低くなってるのは許せ。

 

んでまあ、キッカケは行きつけのバーでたまたまやってたってだけなんですけど、W杯見始めてから、この世に知らなくていいことなんてないんだなって切に感じています。

W杯のルールなんて全然わかってなかったんですよ。勝ち点?得失点?は?ナニソレ?ウンチウンチ!って感じだったんですよ。でも、それを仲のいいバーテンダーにイチから説明してもらって、仕組みがわかってくるとこれがまた面白いんですよね。次の試合でどこが勝てば日本が引き分けでも上がれるとかなんとかがわかってくるとまあ〜〜〜〜〜〜面白い。ハラッハラしながら各国の試合を見守ってます。

 

W杯見る前の僕なら「スポーツなんて見ても人生の何の足しにもならなくない?」とか言ってますね。まあそれは今でも気持ちはわかります。W杯の結果が人生の糧になることなんて100歩譲ってもないです。

でも、そこから話が膨らむんですよね。色んな人と。全然お互いのことを知らない人でもW杯の話を皮切りに盛り上がれるんです。みんなで試合見ながらワーキャー騒げるんです。その時間はすごく楽しい。楽しいことはいいことです。人生なんて楽しくてナンボですからね。楽しいことがないと俺なんてすぐにうつ病になっちゃいますから。

 

そんな感じで、色んなことを知って生きていけたら、人生楽しみが増えるなぁと思うばかりです。

 

ちょっと暗い記事が多かったので、最近あった楽しい話でした。以上!!!!!!!!

 

 

 

ちなみに知らぬが仏って言葉は「知っているからこそ腹も立つが、知らなければ仏様のような穏やかな心でいられる。」って意味らしいです。無知な人への若干の侮蔑表現を含んでいるらしいですよ。

 

 

 

アインシュタインの人

初めが肝心とは言うが結局は終わり良ければすべて良しっていう(改)

お腹が痛くなったので、講義から脱走してトイレに行く。

 

1分後。トイレが始まった。ブログの時間です。

 

今週も1限の日がやってきた。毎週火曜と水曜にある。お腹が弱いので、大学に行く前にトイレチャレンジに挑戦している。ルールは簡単。家でトイレが始まるのを待ち、家を出なければいけない時間までに終われば成功だ。失敗してしまうと、通学中に死にたくなるような腹痛に襲われる。特に1限の日は朝が早いので、トイレチャレンジに成功する確率が低くいつも電車の中で死

トイレが終わった。講義に戻るものとする。

どっかにいこー/Theピーズ

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俺はこの日、間違いなく人生の極致、極地にいた。

 

世界一周者でもその治安の悪さから踏み入れない禁断の地・中米。

その中でも治安最悪、殺人強盗多発地域と呼び声高いエルサルバドルの首都サンサルバドル

 

3月17日、この日俺はホンジュラスからエルサルバドルの国境を越えた。

危ない土地は日の出ている内に移動するという旅行者の原則に従って、誰も起きていない宿の裏口を抜け、朝5時始発のバスに飛び乗った。

しかし、インフラの整ってない山中の一本道は工事中に工事中を重ね、国境に着いたときにはすでに時間は17時を回っていた。

 

国境は山地、宿もない。

首都サンサルバドルに向かう他に方法はなかった。

 

バス停の場所は分からなかったが、小さな空き地のようなところからバスが出てくるのが見えた。

「次のバスに乗ろう」と思い、トボトボと大きなバックパックを背負い歩いた。

 

そこには4台のバスがあり、「これでやっとサンサルバドルに行ける」と安心した。

しかし、そこにいた如何にもお金の無さそうなみすぼらしい格好をした少年が「ノー ブス、ノー ブス、マニャーナ、〇〇✖︎✖︎△△タクシー」と叫ぶ。あとは何か言ってたがわからなかった。

 

スペイン語がわからない俺でも、これは「バスはない、明日だ、タクシーを使え」と言う意味だとわかった。

これは貧困国である詐欺だ。

お金を持っている旅行者に「今日はバスはないよ」と嘘を教え、タクシーに乗らせる。その見返りとして、その人に幾らかのマージンが入る。

 

これまで何回かその詐欺を見て来たので、コーラ中毒者なのでコーラを飲み、ニコチン中毒者なのでタバコを吸いながらひとり次のバスを待った。

俺の次の来たのは、中米では珍しくスーツを着た現地人男性だった。

少年はその男性に対しても、「ノーブス」と言う。

やはり何を言ってるかわからなかったが、2・3分の会話ののちに男性は諦めて国境側に去っていった。

 

彼も俺と同じ、騙されている可哀想なひとだと同情した。

しかし、その後すぐに少年はバスの清掃を始めた。

 

俺は騙されていたのではなかった。

少年はバスの清掃員だったのだ。

本当に今日のバスはないのだ。

 

スーツの男性を追いかけ、彼に俺の数少ない知っているスペイン語で「キエロイール・サンサルバドル」「サンサルバドルに行きたい」と伝えた。

 

彼は諦めたような表情で、国境の向こう側の向こう側を指差して「今日はホンジュラスに戻って、宿を探そう」と俺よりも語彙力のない英語で言った。

 

俺にはとにかく時間がなかった。

1ヶ月後のパナマ発の帰国航空券を買っていた。

 

それにお金もなかった。

それまで自由に使えるお金も300ドルしかなかった。

こんな辺鄙な町に安宿など無いと思った。

 

という2つの理由はさておき、

この日は俺がサンサルバドルに着くと決めてた日だった。

スケジュール帳にも書いてあった。

 

しかし、スペイン語がわからないのは俺の落ち度。

治安最悪と言われるこの地では、現地人の言うことは聞かざるを得なかった。俺はホンジュラスに引き返すことにした。

 

彼の後ろを金魚のフンのように歩いて国境まで戻った。

国境に着き、「さすがに国境のおっちゃんなら英語しゃべれるやろ」と言う偏見で、ダメ元で車の税関をしておるおっちゃんに「ドゥーユースピークイングリッシュ」と尋ねた。

 

おっちゃんはすかさず「Si」と答えた。

英語で聞いたのに、スペイン語だったけど「はい」と言う意味だ。

 

「I wanna go to サンサルバドル!!」

と伝えると

英語で「よっしゃ!すぐ友達呼んだるわ!」と言うので、現地人の男性とその友達とやらを待つことにした。

 

おっちゃんの友達は俺の感覚、日本人の感覚では、おっちゃんの友達、すなわち知り合いという感覚だったが、おっちゃんは国境を通るあらゆるトラックというトラックを止め、どこに行くのか訊き始めた。

 

そして、ようやくおっちゃんがサンサルバドル行きのトラックを見つけ「サンサルバドル!!!!」と叫ぶと感覚が中米ボケしていた俺は「サンサルバドル行きだー!!!!」となって自称サンサルバドル行きのトラックに乗り込んだ。

 

そこまでは良かったが降ろされたのは、自称サンサルバドルの僻地。

サンサルバドルから20km。

真夜中、国道の真ん中。

 

トラックに運転手は「ここでバスに乗ったら、サンサルバドルに行ける」といったが、超高速で走るバスが真っ暗の中、必死に手をあげる俺たちに気付くわけはなかった。

 

道中を共にした男性だけが頼りでまたも金魚のフンのように大きな荷物を背負って付いてくる外国人の俺、すなわち現地人からしたら歩く金塊の俺(実際には300ドルしか持ってない)が邪魔だというのは俺にも分かった。

でも、スペイン語もわからずこんなところに来てしまった俺には頼る人もいなかった。 彼は「ガソリンスタンドなら、安心だ。あそこはポリスマンがいる」と言って、すぐ近くの大きなガソリンスタンドに連れていってくれた(たかが数100mなのに、彼しか見ていなかったのと右側通行なのを忘れて、左側を見ながら道路を見て道路を渡ったので100km/h超えで走る車にひかれかけた)。

ガソリンスタンド(中米のガソリンスタンドはとても大きくて売店があってスーパーマーケットみたいな感じ)に着いたが、 彼がポリスマンと言っていたのはただのショットガンを持った警備員だった。

警備員がショットガンを持っている(東アフリカでも警備員は長い棒きれしか持っていなかった)のは治安の悪さを物語っていた。

そして、俺の金魚だった彼はどこかに消えていった。

もしかしたら、彼の家がこの近くにあってこの場所を指定したのかもしれない。 でもここまで無事辿り着いたことに感謝しかなかった。

 

ガソリンスタンドのおっちゃんはスペイン語しか話せず、スペイン語のわからない俺は彼が何を言っているのかわからなかった。

そこに偶然、サンサルバドルでボランティア活動をしているコスタリカ人が給油に来た。彼は俺より英語が喋れた。

彼は「ここに誰かがピックアップに来るの?」と心配してくれたが、明日のバスを待っているのを「ピックアップ」と呼ぶのかどうかわからないのでとりあえず「イエス」と答えた。そのあとで、「明日のバスを待ってる」と付け足した。「夕飯食ったか?」と聞かれたので「食ってない」と答えると、おつまみみたいなビーンズの入った袋をくれた。

めちゃくちゃしょっぱくて、ほぼ塩の味しかしなかったが、お腹が空いてたので一目散に食べた。その後もいろいろ聞かれたけど、英語もよくわかんないので「オー!」とか「イエス!」とか相槌を打つことに専念した。

 

そして、そのお兄さんもどこかに帰っていった。お兄さんは結構本気で心配していたらしく、帰り際に警備員にスペイン語で俺のことをいろいろ話してくれた。

 

こうして、このガソリンスタンドは公式に俺のキャンプ地と決定した。

 

その時の俺が何を考えてたかわからないが、その時に警備員のおっちゃんと撮ったのがこの写真だ。

 

今振り返ってみると、俺がこれまで何事もなく40ヶ国以上を旅できたのは出会った人たちのやさしさである。

ってことは大前提として、 俺自身がずっと笑顔でいれたからだと思う。

 

そんな俺は2ヶ月前から精神科に通っています。 うつ病らしいです。

自分でも恥ずかしく思います。

 

今、お酒を飲んでいるときしか何もできない。

ブログを書いている今でもラム酒をガブ飲みしている。

でも、みんながどんなに大変な時でも笑顔でいれたらどうにかやっていけると思う。

みんな笑顔になれる場所を探してください。

 

どうにもならなかったら、サンサルバドルに行ってみてください。

ブッチャーズをピーズを聴いてください。

過ぎ行く無機質な景色

またここでブログを書くことにしようかと考えた。


しばらくはブログにする程度の文章も紡ぐことができず書いていない状態が続いてたけど、よくわからない思いつきによってまたやろうかと思う。たとえまた三日坊主に終わったとしても、気にしてはいけないのです。

 

今年から大学院に入学したということで、大学院での生活や近況について適当に書いていこうと思う。情けないこと言ってるなあくらいに思ってもらえると結構。

 

大学院の専攻は一応情報工学となっているけど、研究内容は正直なところ情報工学とはかけ離れている気がする。それに関しては修了さえできるなら特に気にしないというのが正直な思いである。

 

大学院に入って特に感じていることは、研究も忙しいけど講義が思ってた以上に忙しいというのが大きい。講義に出るだけならまだしも、途中でレポートやら試験勉強に追われるので、研究の時間が削がれる。大学院は講義が少ないイメージだったけど、入ってみると実質今の講義のコマ数は学部時代と変わらず、毎日のように講義がある。
難しい。ついていけない。中には単位だけのために存在しているような聞いててもしょうがない講義もあり、こんなところにいてる時間があるなら研究を進めたい。そう葛藤している日もある。

 

6月ということで夏インターンをどうするかという時期に差しかかっている。そんなことを考えてる余裕も時間もほぼ無いに等しい。本来、将来を見据えてインターンのことを考えるべきなのかもしれないが、そんな暇があったらレポートやら研究の進捗資料やら目の前の課題を片付けないといけなくなっている。レポート、研究、研究が先だ。
一応、インターン先を全く探していないわけではないけど、条件に合うところが見つからない。条件を絞りすぎているのが良くないのかもしれないが、今そこまで考えている余裕はなく、探してこれなら仕方ないかと開き直ることにしている。

 

やることが多すぎて全てのタスクをこなせる自信がないどころか、半ば諦め状態になっている。たとえキャパを超えたタスク量があったとしても、そう簡単に投げ出すわけにはいかないわけで。

やることが多い時はTodoリストたるものを作って、優先順位をつけた上で一番優先度が高いタスクから片付けていくのが個人的にベターだと思っている。ところがそれでも解決しないことも多い。何をするにもあまりにも要領が悪いせいで、

一番優先度の高いタスクを終わらせたくても一向に終わらない、もうこれは後回しにして2番目のタスクをしよう、けどこれも中々終わらない、じゃあ3番目のを・・・
という状態が続いており、優先順位をつけた意味が無くなっている。これが割とマジで嫌になる。俺は一体何をしているのかなって。こうして時間は無情にも過ぎていく。

 

そうは言ってもこういう忙しさはこの前期で終わるはず、いや終わらす。あと1ヶ月半ほど耐えられればそれで良い。前期が終わったら、今よりも余裕がある生活が待っている、はず。そう信じて。

人を愛するということ

こんにちは。福岡へ帰る新幹線の中で書いています。

先日、我がブログのボス、トンミルさんとお話をしていまして、「人を愛するとは何なのか」というウンコみたいな話をしていました。今回の記事はそれに関連した反省文のような話です。

 

端的に言うと俺が人を愛せないって話です。まーた中二病みたいなこと言ってますが真面目な悩みです。安心してください。

とは言っても、僕にも彼女がいた時期があります。Twitterのフォロワーに元カノがいるから弁明する、というわけではないですが、付き合っていた時分は間違いなく愛していました。最近になって恋人の愛し方や接し方がわからなくなってきたって感じの主旨です。

それを語るには僕の性格から話しましょう。「俺は俺は」トークばかりで「ンなモン興味ねーわ!」って人もいるかもしれません。すまん。

 

そもそも僕は人と接するのがあんまり得意じゃないんです。

というのも、ウチの母親は自営の接客業をしてまして、それはもうベラベラベラベラと一日中話し続けているような人でして。幼い頃の僕は、まあ、本当に小さい頃ですから、家族にだけ話すような秘密とかも親に話していたわけです。ある日、その母親の職場で僕は母親の仕事が終わるのを待っていたんですね。多分、宿題か何かをしていたと思います。そうしてふと母親の話を聞くともなしに聞くと、家族だから母親だからと信頼を寄せて話した僕の秘密を客にベラベラと話していたんですね。「ナイショだよ」とかなんとか言っておけば母親も話さなかったんでしょうが、特別に口止めすることもなく、「まあ人の秘密をベラベラ話すことなんてないだろう」と、こちらが勝手に思って話してしまったから仕方ないんでしょうが、幼心にそのことに酷く傷つきまして、「例え身内であっても信用してはならない」と思ってしまったわけです。

幼い頃に最も信頼を寄せていた存在に裏切られた(と思い込んでいた)経験は僕の人格形成に些事では済まない影響を与えました。最も信頼を寄せる人間ですらそういった状況ですから他人なんて何をしでかすかわかりません。本心や秘密はすべて墓まで持っていくのが正しい生き方であると思ったわけです。

とまあこういった経緯で、僕は人と接するのがあんまり得意じゃないんですね。

 

しかし、そうやって本心をひた隠しにして生きるとやはり交友関係に不都合が生まれるわけです。本心を曝け出さない人に本心を曝け出す物好きなんていないですからね。親友というものができませんでした。それなりに仲のいい友達はできますが、皆一様にそれなり止まりでした。24になった今でも連絡を取り合うような小学中学高校の友達はついぞできませんでした。SNSで繋がることはあっても連絡を取り合うことは皆無です。刹那的な友好関係しか築けなかったんですね、かわいそうに。

そんな僕が処世術としてどうしたかと言うと抜け殻の自分をもう1人作ったわけですね。そうですね、仮面みたいなものでしょうか。幸か不幸か人とは一歩引いて接していたものですから、どういう人にどういう反応を示したら好意を抱かれやすいかという分析はよくやっていました。つまり人によって接し方を変えて、八方美人になろうとしたわけです。(人によって接し方を変えていると複数人で行動するときに整合性が取れなくなるので、最終的には万人受けするピエロ役で安定しましたが。)

しかし、仮面は所詮仮面なので本心を曝け出すことで築けるような深い関係性は築けませんでした。そこで僕はその仮面に仮面の本心を作りました。つまり、表の性格も裏の性格もすべて泥人形で作り上げたわけです。

もうここまでくると泥沼です。まったくもって身動きが取れず、二進も三進もいきません。

しかし、そんな僕にも幾度か彼女ができまして、ただ、そんな状況でうまくいくわけもなく、「何を考えているのかわからない」だったり「本当に私のこと好きなの?」だったりは散々言われてきました。

それでも僕なりに本心は曝け出してきたつもりではあります。無論、仮面の方ではなく、本物の本心です。

でもやっぱりダメでした。泥で厚く塗りたくって作った仮面はそう簡単に剥がせる代物じゃなかったです。どうしても心の底で警戒心だったり、恐怖心だったりが邪魔をして彼女に対してもいい顔をしてしまうんですね。そんな人間味の薄い人に惹かれる人なんてそうそういませんからね。みな僕からスッと離れていきました。

そうするとその悲しみからその仮面をよりいっそう分厚くこさえてしまうわけです。そうしてもう最近は何が本体で何が本心なのかよくわからなくなっておりまして、これが解離性同一性障害なのかとも思いながらどうしたもんかと手をこまねいているわけです。

こうなると人を好きになるということもよくわからず、「本当に自分はこの人のことが好きなのだろうか」などと思案を巡らすのですが、そこに答えなんてものはありませんし、好きとは何なのか、どういう気持ちならば好きなのだろうか、この気持ちは本当に僕のものなのだろうか、社会に適合するために生まれた“模範的感情”のような類いのものではなかろうかなどと考えているわけです。

 

人を愛するとは難しいものですね。

さて、そろそろ目的地の福岡に着きそうです。

今回はこの辺で。

この話はノンフィクションですが、同情や哀れみや救いの手を求めているわけではないので、ひとつのエンターテイメントとして読み流していただけたら幸いです。それでは、また。

 

 

 

 

アインシュタインの人

複雑だからこそ-後編-

複雑だからこそ-前編- - 仮説トイレの後編となっております。

 

さて、スパイスの紹介の続きです。早速いきましょう。

 

 

レッドチリ

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香りの強さ★☆☆☆☆

使いやすさ★★★★★

みなさんご存知、赤唐辛子です。乾燥させたものを使うことが多く、乾燥した赤唐辛子をパウダーにしたものはカイエンペッパーと呼ばれています。フレッシュで使う場合は青唐辛子を使います。カレーで重要な辛さを担うスパイスですね。

 

ブラックマスタードシード

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香りの強さ★★★☆☆

使いやすさ★★★★☆

マスタードの種です。ホワイトマスタードシードはカレーにはほとんど使われず、こちらのブラックマスタードシードが主流です。香りもみなさんの想像通り、マスタードの香りです。南インドカレーで使われることが多く、噛んだ瞬間にマスタードのほのかな芳香が鼻腔を抜けます。僕のお気に入りです。

 

アサフェティーダ

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香りの強さ★★★★★

使いやすさ★★★★☆

別名、悪魔の糞と呼ばれるスパイスです。単体で嗅ぐとなんとも言えない異臭がするのですが、熱した油に入れた途端に玉ねぎを炒めたような香ばしい香りが広がります。したがってパウダースパイスではありますが、スタータースパイス(後述します)として使用します。

 

フェンネルシード

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香りの強さ★★★★☆

使いやすさ★☆☆☆☆

さわやかな香りといえばこれ。春先の木々に生える若葉のような香りがします。が、火を通しすぎると苦味が出ます。僕は未だに使いこなせていません。インドカレー屋さんに行くと、このフェンネルシードをチョコレートコーティングしたものが口直しとして置かれていたりします。それぐらいさわやかな香りです。

 

 

こんな感じでしょうか。他にもインディアンベイリーフスターアニス、フェヌグリークなど、インドカレーには様々なスパイスが使われますが、僕はこれらのスパイスを使ったことがないので割愛させてもらいます。

それぞれのスパイスには薬効があり、インドカレーは別名食べる漢方薬とも言われています。アーユルヴェーダの観点からも注目されていますね。

 

さて、最後にインドカレーの基本の作り方を紹介して終わりましょう。前編でカレーの作り方は紹介しないと言ったな?アレは嘘だ。

 

 

1.フライパンにサラダ油を大さじ3(たっぷりめ)ほど入れ、熱します。

2.油が十分に温まったらスタータースパイスを入れます。(このスタータースパイスとは油に香りを移すためのスパイスで、これがカレー全体の方向性を決めます。一般的にホールスパイスを入れますが、アサフェティーダだけはこのタイミングで入れます。)

3.香りが立ってきたら玉ねぎのスライスもしくはみじん切りを入れ、あめ色になるまで辛抱強く炒めます。目安は玉ねぎがフライパンにペタペタにこびりつくぐらいです。

4.玉ねぎがあめ色になったら香草類を入れます。主な香草類はニンニクと生姜のすりおろし大さじ1、コリアンダー(パクチー)の葉や茎大さじ2です。

5.ある程度香草類を混ぜたらトマト1/2〜1個分のみじん切りを入れます。同時にパウダースパイスも入れます。トマトも水分が完全に飛ぶまで(ペタペタするまで)炒めます。

6.水分が飛んだら水をカップ1杯ほど入れます。とろみ具合を見て量は調節してください。

7.沸騰してきたら肉や豆、根菜類など好きな具材を入れて煮ます。水は適宜追加してあげてください。

8.具材に火が通り、鍋のふちに赤い油が浮いていれば完成です。最後お好みでガラムマサラ(ミックスパウダースパイスのこと)やコリアンダーの葉を入れてあげるとより風味豊かになります。

 

少し時間はかかりますが、調理自体は楽なのでみんなもスパイスからカレーを作ってみてはいかがでしょう。

 

 

 

アインシュタインの人

味方につきたい会社を見つけて、君だけの人生を作ろう!

お久しぶりです。

 

タバコの香りが配合されたルームフレグランスが欲しいと言っていた人に「わざわざ?」と言ってしまったミルトンです。
ちなみに今どきタバコの匂いの香水もあるらしくてこちらも「わざわざ???」と思いました。
色々な趣味趣向がある…世界は広い…。

男の人の爽やかな香水とタバコが混ざった匂いにグッと来る気持ちも分かるので否定はしませんが、私の部屋には無香空間(特大)が置いてあるくらいなので…。

 

 

さて、今年のはじめ頃ですが、Twitter
「朝井さん 就活について凄くためになること言ってるから記事にまとめようかと思ってたけど、妻発言により心が死んだので無いです」(※当時は朝井さんが結婚してショック受けていた)
と言っていたら、就活中の友人に「それ読みたい」と声をかけてもらったので、今回は働くことをテーマに書いてみたいと思います。


ちょうど友人の多くが就活に取り組む歳になってきました。がんばれ、と思っている。すでにいっぱいがんばっていると思うけど。
幸あれ~と願っています。この記事にもそんな願いを込めて🙏🏻


朝井さんの発言についてはまた改めてまとめるとして、今回はその前哨戦として、「働くとはなにか」という問いに最近自分なりの答えが出せたので、そのことを書きます。

ちなみに、朝井さんの就活アドバイスが気になる人は「朝井リョウ インタビュー」で調べるとどんどこ出てくるので読んでみてくださいな。

 


そもそも最近、なんで「働くこと」について考えているかというと、簡単に言えば、携わっているとある仕事が上手く進まなくなってきたからです。

表面的な「この資料のここの表現が違う」とか「電話口での言葉遣いが間違っている」とかそんなことではなく、もっと本質的なことを変えていくことが必要なのかもな〜と思ったんですね。


“本質的”とか言っても全然分からないのでもっと噛み砕いてみようとしたら、私と同じ時期に就職活動をしていた男の子2人の会話を思い返しました。車についての話。


男1「卒業したらA社の○○(車種)買うわ~」
男2「まじか、俺は××(車種)かな」
男1「でも俺B社入ったら出勤はB社の車じゃないといけんよな」
男2「あー、そりゃそうやなぁ、どうするんお前」
男1「B社のやつは安いやつ買お、んで出勤以外ではA社の乗るか」……


みたいな会話。もう数年前なのでうろ覚えで若干言葉足したけども。

 

私は横でこの会話を聞きながら「大変だな~」と思った。呑気な感想で申し訳ないけど。

そして「A社の車が好きなら、A社に就職すればいいのにね」と思っていた。

まあ、男1さんの就活事情は全く知らないので、A社を受けたけど受からなかったかもしれないし、そもそもA社は求人を出していなかったのかもしれないが。


結果的にこの人は『A社の車が好きという気持ちを持ちながらB社で働くことを選んだ』のだ。
それが悪いことではないと私は思う。人生の全てが自分の思い通りにいくとは限らない。
本当はA社で働きたかっただろうこの人の気持ちも痛いほど分かるわけで。


ただ、B社で働くということは、究極的な話『A社の敵になる』のである。もっと言うと『A社を潰すことに加担している』。ま、これは言い過ぎか。


自分が働いて、その対価としてお金がもらえて、そのお金で生活する。そのことは大前提である。
だけどその先にある、『働くということは、勤めている会社の味方になること』ということを分かっていないと後々自分が苦しくなることがあるのかもしれない。

この人は結局どんな道に進んだのか分からないが、あのままB社で働いているならば、A社を好きな気持ちとB社で働く自分に折り合いを付けて働くことが出来ていたらいいなと思う。
それか良きタイミングでA社に転職できたらいいね、とも思う。
120%余計なお世話である。

 

もうひとつ例を挙げてみる。
私の好きな「図書館戦争」シリーズの『別冊 図書館戦争Ⅱ』にある話。

まず、「図書館戦争」は、メディアの不適切な表現を過剰なまでに取り締まる 国の組織“良化隊”と、その過剰な取り締まりから本を守る“図書隊”の抗争を描いている。


その中に、いまは図書隊で活躍している男性が、昔は良化隊の一員だったというストーリーがある。


その男性が昔、良化隊に配属された時は「嫌われる部署に配属されてしまったなぁ」と思っただけで、周囲をごまかしつつそのまま働いていた。

その男性には彼女がいた。その彼女には本を出版するという密かな夢があった。その夢は叶ったのだが、良化隊であったその男性は、仕事だからとその彼女が書いた文章が載っている本を取り締まり、本屋から没収していった。

男性は「仕事だから仕方なくやっただけで、彼女の夢を潰すつもりはない」と考えていたが、良化隊としての男性の姿を知った彼女の気持ちは、もう取り返しがつかないものになっていた。そこではじめて良化隊の自分が何をしてしまったのかを自覚した……という話である。

 

ここまで大げさなことは現実では少ないかもしれないが、自分がどんな気持ちでいようと、会社の方針で行なっていることに自分は加担しているということなのだ。

逆に言えば、好きだと思える会社で働くことでその会社を一番に応援することができるということである。良化隊から図書隊に転身したこの男性のように、彼女の本を取り上げる側から守る側になることもできるのだ。うう、緒方副隊長と彼女に幸あれ…(涙)

 

長々と話してしまったので最後にまとめると、私は、味方に付きたいと思える企業に就職すると気持ちよく働けるのではないかと思う。

 

端的に言えば、
・その会社を応援したいと思うか
・社長の考え(会社理念)に賛同できるか

この2つを満たしていれば、自分が働きやすい職場に出会えるのではないかなと思います。なんか、ものすごく当たり前のことを言っていますね。でも、この当たり前のことに意外と気づけていなかったりするものなのです。(私です)

 

私自身は有難いことに上の2つは満たしているのだけど、別にそこまでちゃんと考えていなかったなと思っている。

自分の生活が送れること、そのために働いているだけ、というか。
別にそれでいいのはいいのだが、それだけで働き続けていると底が見えてくるのかなーと感じていたりいなかったり。


もし、好きでもない会社に入ってしまったなぁという人がいたら、その会社を今からでも好きになったらいいじゃないということでもある。
B社の車だけに感じる良さも、きっとあると思うから…。

ま、すべては考え方次第なのかもしれないね、という話。

 

なんかザーッと書いてみたはいいけど、これ、就活生の救いになってんだかなんなんだか分かりませんね。

そのうち、働くことについて~朝井さんのありがたいお言葉編~をやるかもしれないので、次回もよろしくどうぞ。