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人の生活に込み入った話が一番楽しい

 

昔の記事にもちょいちょい書いてますが、ここ1年ぐらいバーによく行っています。

と言ってもみなさんがイメージするようなしっとりとしたスムースジャズが流れる店内で、バーボンの香りを楽しみながら静かにグラスを傾ける……みたいなバーじゃないです。

そういう人もたまにはいますが、どちらかというとバーテンダーやお客さん達と話をしてゲラゲラ笑いながら美味しいお酒を飲む場所って感じのとこです。

 

そこはバーなのでお客さんも色んな人が来ます。学校とは違って年齢も職業もバラバラです。年齢は20〜60ぐらいまで。職業はお医者さんだったり、鉄道会社勤務の人だったり、携帯会社の人だったり、森○製菓の人だったり、学校の先生だったり、カメラマンだったり。本当に色々な人と話ができます。

そういう色んな人が集まって、さて話をしましょうってなったときに困ることがひとつあります。

話題です。

職業が違うので専門的な話はさっぱりわからない。そんな中で何を話題にすると円滑に(?)駄弁ることができるんでしょうか。

 

 

そういう場面によく顔を出す人は想像がつくかもしれませんが、一番取っつきやすい話題は個人情報を色々と聞くことです。

「職業はなんですか?」「年齢おいくつですか?」「どの辺に住んでるんですか?」「趣味とかなんかありますか?」

ここら辺のことを聞いておけば大体の人とは当たり障りのない会話はできます。初対面でいきなり個人情報に踏み込むのは僕はあんまり好きじゃないですけど。

 

まあこの系の話を膨らませれば小一時間ぐらいは頑張れます。

ですが、この話題は膨らめば膨らむほどどんどんと深みを抉らなければならなくなるのであまりいい手法とは言えません。初対面で恋人の話とか突っ込めないですからね。

 

ここいらで話題転換ができればいいんですが、そうするとできるようになる話が「最近の世の中の出来事」か「芸術」の話ぐらいしかなくなるんですよね。

でも世相なんて見ず知らずの人とバーで話すようなことじゃないじゃないですか。

「こないだの日本と韓国のイザコザについてどう思います?」なんて繊細な話をしようもんならどこかで取っ組み合いが起こること請け合いです。

 

じゃあもう芸術の話をするしかないじゃないですか。映画だの本だの音楽だの。

 

 

それが芸術に微塵も興味のない俺としてはまっっっっっっったくついていけない。

ビックリするぐらいわからないんですよ。

映画や音楽の話で取っつきやすいものと言えば、名作と言われる映画や超有名アーティストの話なわけですよ。最近ですとボヘミアンラプソディとかはもう格好の餌ですね。クイーンはみんな知ってるでしょ!映画はみんな好きでしょ!みたいなあたかも知ってるテイで話しかけられるわけです。どっちもさっぱりわからない。本当にさっぱりわからない。

そもそも僕には芸術がわからない。何を以って良しとして何を以って悪しとするのかがわからない。

「○○という映画は素晴らしい」と言われても何がどう素晴らしいのかがわからない。ストーリーの展開が素晴らしいのか、俳優の演技が素晴らしいのか、演出が素晴らしいのかわからない。ストーリーの展開が素晴らしいとはどういうことかがわからない。演技の良し悪しも演出もわからない。基準は一体何なのか。

もし多くの人にとって見ていて情動を揺すられる(楽しい、感動的、怖いなどと感じられる)作品を素晴らしいものとするならば何となくわかる気はします。ただ、それが目の前にいる人にとって素晴らしいものとなるかはわからないわけで、それを手放しで褒めそやし、勧めることができる気持ちはよくわからない。

音楽だって同じです。ビートルズを聴いても何が素晴らしいのかが僕にはわからない。自由を歌った曲が当時の人々の心を打ち……なんて言われても「当時は衝撃だったかもしれないけど、もう21世紀も1/5が終わろうとしてんぞ」と思ってしまう。「それを抜きにしても素晴らしい」と言われても、音楽理論の「お」の字も勉強してない素人 of 素人の僕にはその素晴らしさがわからない。そんな所よりもわかりやすくテクニックの際立つ曲の方が僕には素晴らしく感じてしまうわけです。

 

別に芸術を否定しているわけじゃないんです。

ただ、僕の信条として「わからないものには口を閉ざす」というものがあるので、芸術を主観で判断し「あれが素晴らしい、これはダメだ」ということを一般化したくないってことなんです。単純に興味がないってのもあるんですが。

まあ芸術だけじゃなく政治にも言えることなんですけど、意見を求められても、自分が判断できるほどの事態の知識もバックグラウンドの知識も持たない状況で自分の立ち位置は決められないってことなんです。それをあれはどうだこれはどうだと浅い知識や感覚で判断を下せる人は怖いもの知らずだなと思うわけです。

もし自分がジャッジを下す場面があるなら、まず何が起こったのかを把握し、そのバックグラウンドを整理して、それぞれの立場からイメージングをしたのちに、自分が得た知識が確証バイアスに侵されてないかの精査を行って、ぐらいのステップを踏まないとジャッジには踏み出せないんです。裁判官かよ。

自分でも偏屈でカタブツだということは承知してますが、これはもう仕方ないね。

 

だからまあ基本的にはどんな話でも中立の立場から「まあそんなこともあるよね」ってヘラヘラしながら話を聞くぐらいしかできないんですね。

事なかれ主義、日和見主義と揶揄されても文句は言えません。

 

 

さて、何のまとまりもない話でしたが、最近思ってたあれやこれやについての話です。以上。

 

 

 

 

 

アインシュタインの人