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テセウスの船

みなさんはテセウスの船の話をご存知でしょうか。

木製の船は木が朽ちたり、損傷が生じた場合には修理しますよね。まあ木製に限らず、壊れたところは部品を交換したりして修理すると思います。

そうやって修理を重ねて全ての部品を新しい部品に取り替えたとき、その船は元の船と同じものであると言えるのか、という話です。

 

これは有名な哲学の話のひとつです。その答えを探し出すには同一性の概念について定義したりと、色々な難しい話が出てきます。

小難しい話は嫌なので深くツッコむのはやめましょう。

 

で、なんでこんな話をし始めたかと言うと、このテセウスの船の話は人体にも当てはまるわけです。

人間の細胞も数年周期で総入れ替えがなされているんですね。

……それってすこし面白くないですか?

 

じゃあ細胞総入れ替えがなされる前と後の自分って同じ自分なんですかね?って疑問とか出てきませんか?

同じ自分ならば、何を以って同じと言っているのでしょうか?(結局同一性の概念を持ち出す羽目になりましたね。申し訳ない。)記憶の連続性とかですかね?

でも記憶ってすごく曖昧ですよね。自分しか観察できないし、それが事実であるか確かめることもできないですしね。その記憶の脆弱性をついた世界五分前仮説なんてものもありますし、その曖昧なものを根拠に自分は同じく自分だと言ってもいいんですかね。

まあ細胞総入れ替えと言っても心筋細胞や神経細胞は生涯更新されないそうですが、だとしたら、その部分に自分のアイデンティティは保存されているのでしょうか。

そうだとすると心臓移植なんてしたら自分とはなんなのか、ますますわからなくなりますね。アイデンティティを有した貴重な器官が他者のものと挿げ替えられるわけですから。

まあでも移植や輸血によって性格や気質が変化した事例は多く報告されてますし、あながち間違いじゃないのかもしれませんね。臓器に自分のアイデンティティが保存されているっていうのは。

細胞総入れ替えの前後の自分は異なる自分だとしたらどうですかね?じゃあどれぐらいのスパンで異なる自分になるんでしょうか?去年の自分と今年の自分は異なる自分でしょうか?1ヶ月前とは?1週間前とは?1日前とは?今日の自分は異なる自分でしょうか?数刻ごとに自分は変わっているのでしょうか?数刻ごとに異なる自分を生み出しては破棄することを繰り返しているだとすると、四次元空間には無数の自分が存在することになります。ドラえもんに出てくる秘密道具、どこでもドアの考察の話を思い出しますね。

どこでもドアって大体の人は知ってると思うんですが、空間を歪めて任意の場所から任意の場所までをドアでつなげるっていう道具ですね。でもこれが空間を歪めているのではなく、入口のどこでもドアで自分が分子レベルまで分解されて出口のどこでもドアで再構築されるっていう考え方もあるんですね。分解して再構築だなんて突飛もない話だって言われてもそもそも空間を歪めること自体突飛なのでそこはまあ目を瞑ってください。で、ここでアイデンティティの話が問題になるんですね。つまりテセウスの船の話ですよ。話が掴めませんか?それは僕の書く力がないだけです。申し訳ない。でも続けます。

入口のどこでもドアにいる自分と出口のどこでもドアに出現する自分は別個体なわけですよ。もっと言えば別の生命体なんですね。同一の記憶、経験を持ったクローンみたいなものでしょうか。そのクローンは果たして自分と同じなのでしょうか。タイムパラドックスを防ぐために入口のどこでもドアを通るオリジナルが消失し、出口のどこでもドアに出現するクローンが出現する。それはオリジナルとは明らかに異なる存在ではあるがオリジナルの100%の複製品なわけです。そしてこの世には常に(オリジナルかクローンかは置いておいて)自分は1人しか存在しない。そうしてさらに自分がクローンであることは知覚できず、自分がオリジナルだと思い込んだオリジナルとまったく等しいクローンがオリジナルとして生きているわけです。それは果たして自分なのでしょうか。自分ではないのでしょうか。

 

 

みたいなのをだらーっと考えるのが好きなんです。どうです?面白くないですか?なんか頭が良くなったような気がしてきませんか?僕はしてきます。単純なので。

 

さて、考えるのに飽きたのでここらで止めましょう。

まあたまにこういう話をすることもあるので、苦手な人は斜め読みでもしてください。

それではまた。

 

 

アインシュタインの人