年に一度の夏祭り
眼前に並ぶのは600個の水餃子と500個の水ヨーヨー
昔から屋台の売る側に立つというのは一種の憧れがあった
日焼けしたタンクトップのお兄ちゃんが、頭にタオルを巻いてビール片手に焼き鳥を焼く
正反対な自分だからこそかも知れない、純粋にやってみたいと思った
実際に体験して分かったことだけど、想像以上に疲れる
黙々と火の前で餃子を茹でる、黙々と水ヨーヨーを膨らませる、黙々と水ヨーヨーのゴムを結ぶ、黙々と釣り糸を作る
黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々黙々
粛々と水餃子を配る、粛々と釣り糸を配る
粛々粛々粛々粛々粛々粛々粛々粛々粛
ビールを片手に持つ暇もなく、休憩で一息つく時間も大してない
しかも今年は近年でも一番の猛暑だ
それでも店頭の列は途切れない
母が言っていたセリフが頭に浮かぶ
「子供は水物に目が無いわよ」
仰る通り、水ヨーヨーの列に並ぶのは
子供子供子供子供子供子供子供カップル子供子供子供子供子供カップル子供子供子供
水ヨーヨーには沢尻エリカか石原さとみが並ぶと聞いていたのに、話が違うなぁ
そんなことを考えながらも一向に列は途切れない
水ヨーヨーを釣る子供たちを見ていて感じたこと
女の子の方が抜群に釣るのが上手い
紙のこよりで作った釣り糸は水に濡れると脆くて、獲物がかかった喜びに浮かれて勢いよく釣り上げると、プツンと切れてしまう
男の子たちは皆成功寸前で釣り糸が切れ
「釣れてたじゃん!」
と情けを求める
そんな男の子たちを横目に、歩き始めたくらいの女の子が、一本の釣り糸で何個もの水風船を釣り上げていたりする
男は不器用で、脇が甘くて、いつもはカッコつけたがるくせに、いざって時には感情的だ
女は器用で、ガードが堅くて、いつもはヒステリックなのに、いざって時には冷静だ
いつの時代も、どんな年代も、これが人間の遺伝子には刻み込まれているんだろう
空から猛暑の源が消えた頃
「暗くて釣れない!」
と、ぐずる男の子に何とか水ヨーヨーをゲットさせたところで夏祭りは終了した
裏でようやくの休憩に浸っていると、同じ屋台の先輩から声をかけられた
「どうだった?憧れの屋台は」
どうって言われても、今は疲れたとしか言えなかった
「まあ、憧れってのはそんなもんでしょ」
確かに憧れってのは大体そうかも知れない
水ヨーヨーの釣り糸と同じで、挑戦できる喜びに浮かれてる間に、現実に押し潰されてプツンと切れる
「でも、楽しかったでしょ?子供たちの笑顔が一番の報酬って感じで」
『ドラマの観過ぎですよ、お疲れ様でした』
そんな風に冷ややかに茶化して家路に着いたけど、確かに悪くない気分だった