朝、家を出ると玄関に蝉の死骸があった。
「蝉が死んでいるなぁ」と、当たり前のことを当たり前に考えた。
「夏の風物詩」とか「夏の寂しさ」みたいに思考が先へ進むことはなく、汗と共に身体から滲み出していった。
昼、食堂で種類も分からない白身魚のフライ定食を食べながらテレビのニュースを見ていた。
日本のどこかの土地の、どこかの小学校で、一年生の男の子が熱中症で亡くなったことを報道していた。
「へー、暑いもんなぁ、死んだんだ」と、事実をただ事実と認識した。
向かいに座る友人の「食堂のメニューのカロリー計算がおかしい。この定食が540 kcalなわけがない」という話題につられて、テレビから目を離した。その話題で盛り上がっているうちに、報道された事実からも目を離した。
夕方、家に帰ると玄関に蝉の死骸があった。
「蝉が死んでる。あぁ、朝見たやつか」
朝、汗と共に滲み出ていった思考をそのまま取り込んで、それでも思考は先に進まなかった。
蝉の死骸をまたいで、ドアを開けて家の中に入ろうとしたところで、初めて思考が先へ進んだ。
よく分からないけれど、入っていいのか迷った。
入ったら駄目な気がした。
たぶん現実の時間としては一秒も経ってなかった。
迷った末、家に入らずにドアを閉めた。
仰向けで、見た目には生きてるようにも見える蝉の死骸を掴んで、茂みに投げ入れた。
夜、母から電話がかかってきて、何とは無しに今日一日のことを話した。
母は「それは良かったね」とだけ言った
子供の頃、学校から帰ってきて、今日あったことを興奮気味に話した時と同じ口調だった。
「なにそれ、無責任だな」と言って会話を終わらせた。
何が良かったのかよく分からなかったし、本当に「それ」が「良かった」のかも分からなかったけど
とりあえず今日はあまり眠れそうにない。