100の質問
7.好きな動物は?
A.カイコガ
今日は床下の普段やっていることについて少し話そうと思う。
床下は現在、とある山奥の大学院で研究活動をしている。高校で化学を学んだことのある人なら聞いたことはあるかもしれないが、「有機化合物」の研究をしている。
有機化合物というのは、端的に言えば炭素をメインに構成される分子のことを指す。我々の体内に存在するタンパク質、DNA、そして我々が摂取する食物、これらは全て有機化合物である。
もっとわかりやすく言うと、「金属っぽくないもの」は基本的に有機化合物と思ってもらっていい(厳密には違うが)。
その中で床下は特に「生物が作り出す毒物」について研究している。毒の研究が人類にどう貢献できるのかというメディア風の問いかけに答えるならば(大学は基本的に見かけ上人類のためにならない研究をやる場なので愚問なのだが)、「新規治療薬の開発につながる」とでも言おうか。
まず、有機化学の世界では「毒と薬は紙一重」というのは一般常識だ。全ての化合物は人間に対して何かしらの作用を起こすのだが、その作用が強すぎれば毒となり、逆にちょうど良ければ薬となりうる。
例えば我々人類全員が必要とする水の致死量は8 Lくらいだし(飲み過ぎで胃が破裂するわけではない)、ビタミンにも致死量がある。
逆に麻薬として恐れられるコカインは医療現場では局所麻酔薬として使われているし、自然界最強の毒であるボツリヌストキシン(大さじ一杯で日本国民を半分くらい殺せる)は最近ではボトックス注射という名で皮膚のシワ取りなどに用いられている。
つまり、新たな毒を見つけるということは、生物に対する新たな作用を見つけることと同義で、それを解明することで未だ不治の病とされている疾病に対抗しうる治療薬ができるのではないかというのが、床下の主な研究目的である。
具体的には、自然界から取ってきた菌を育て、お茶やコーヒーのように成分を有機溶媒と呼ばれる液体を使って取り出し、それを実験動物に投与することで毒性を見て、毒性を示した成分が新しい有機化合物かどうかを分析するという研究だ。
その実験動物として用いたのが、回答に記したカイコガだ。漢字だと蚕とも書き、言わずと知れた「シルク」の生産者だ。床下は元々蛾という生物が苦手で仕方なかったのだが、このカイコガを飼育して以来蛾の可愛さに魅了されてしまっている。なかでもカイコガは特別に可愛い。
まあまずは写真を見てくれ。
はい可愛い。閲覧注意などと記載するのはもってのほかだ。まるで妖精のようじゃないですか?
この気持ちを歌にするなら間違いなくBase Ball Bearの「どうしよう」という曲を歌うしかないだろうと思ってしまうな。
どうしようもないほど
君のことばかりを考えてしまう
どうしようもないこと
浮かべては消す吹き出し
どうしようもないほど
君のことを好きになってる
どうしようもないほど
伝えたい この気持ち ああ!ああ!
この曲の中に「青春が終わって知った 青春は終わらないってこと」という歌詞があってこれがまた最高なのだが今回の話とは全く関連しないので最高という旨だけお伝えしておきます。
そしてこのカイコガ、果てしなく儚いのだ。
カイコガはシルクの生産者として長いこと人類に飼育されて生きてきた所謂「畜産動物」だ。つまり、人間が飼育しやすいように進化してきた生き物なのだ。
まず幼虫は、野生で生きていくための防御手段を全く持たない。アゲハ蝶の幼虫は嫌な匂いを発する角を持っているし、毛虫は見ての通り体表の針のような毛によって鳥や爬虫類から捕食されるのを防いでいる。
弱肉強食の自然界で生き抜いていくために、多くの生物は上記のような防御手段を持っている。
しかし、カイコガの幼虫はそのような類の能力を持ち合わせていない。それどころか、足の力が退化しているため枝を登ることさえままならず、ひっくり返れば起き上がるのにも時間がかかる。野生に放たれれば我先にと外敵が群がる格好の標的なのだ。
そして現実世界に舞い降りた妖精ことカイコガの成虫。成虫もまた幼虫と同様に防衛手段を持たない。それどころか、翅は退化し飛ぶこともできない。そもそもシルクの元となる生糸は蛹の入った繭を茹でることで得るため、殆どのカイコガは成虫へと羽化する事なく死に絶えてしまう。
どうですか、めちゃくちゃ愛らしくないですか。
人間の力を借りなければ全く生きていくことのできない生物、そしてその生物を飼育すること、毒物を注射することの罪悪感、エゴで生まれた生物に可哀想とか可愛いというエゴを重ねているという感覚、全てをひっくるめて愛らしすぎる。
これ以上カイコガへの愛を書き連ねると異常性癖の持ち主だと勘繰られそうなので、有機化学の話に戻ろうか。
有機化学という学問を勉強していると、日常に溢れる多くの現象を理論づけることができるようになる。
どの食材にどの有機化合物が含まれているか何となく分かるため、毎日の栄養バランスを直感的に計算できる
水素水や酵素ドリンクなどが本当に健康に寄与するものなのかを判断できるようになる(結果として芸能人や著名人の頭の良し悪しが分かるようになる、藤原紀香とか)
お酒がどのようにして出来るのか分かるようになる
本屋に入るとトイレに入りたくなる現象(青木まりこ現象と呼ぶらしい)が何故なのか分かるようになる
ニンニクを油で炒めるのは何故なのか分かるようになる
速水もこみちが何故毎朝のように料理にオリーブオイルをダブダブかけるのか分かるようになる
この世界に存在する全てのものは化合物の集合体であり、その多くが有機化合物だ。つまり有機化合物について学ぶということは、世界を学ぶことに等しいものだ。
前回の記事の最後に「抹茶味のお菓子の色素はカイコガの糞からできている」という話をした。有機化学に詳しくない者から見れば、この文言は「汚い」と思うだろう。
だが、有機化学を学んだ(大学院生の分際で学んだと言うにはおこがましいが)床下からすると、「汚い」とは一体何だろうと感じる。
例えば、お酒の話をしよう。
お酒は原料(ビールならば麦や小麦、ワインならばぶどう、日本酒ならば米)に菌による発酵の力を併せることで作り出されている。
酵母と呼ばれる菌が原料に含まれる糖を嫌気呼吸(酸素の使わない呼吸)によってアルコールに変えることで「お酒」と呼ばれるものが出来上がる(日本酒は酵母の前に米のデンプンを糖に変えるコウジカビという菌を使う)。
文章を読んでよく考えて見てほしい。
酵母は糖を「食べて」、アルコールを体外に「排出」している。
これがどういうことかお分かりだろうか。
お酒というのは、菌の糞でできているのだ。
それに限らず、この世に存在する全ての発酵食品はそうやって菌の「排泄物」でできている。
そう考えると「汚い」というのがどういうことなのか分からなくなってきませんか?
結局のところ、「汚い」というのは言葉のあやであり、「人間に何かしら悪いことをする化合物が毒となる量で存在している状態」を指してそう言うのだ。
そう言う意味では、
抹茶味の色素に使われるカイコガの糞も、
イチゴミルクの色素に使われるコチニールはカイガラムシという虫から得られるということも、
ゴキブリとエビの皮膚の成分が全く同じであるということも、
「汚い」という感情を持つ必要は全く無いのだ。
床下としては、お酒や納豆やチーズを美味い美味いと食っている人間が、良くもまあカイコの糞が汚いなどと言えたもんだと思ってしまう。キノコなんて菌の塊を食っているようなものなのだが、皆美味しそうにパクパク食べている。
床下は以前の記事で「嫌いなものを作りたがらない」という話をしたが、その理由には上記のような背景があるからなのだ。
学問を究めるということは、真理に近づくということであり、また、「自分はまだ何も知らない」ということを思い知るものである。
「知らない」ことは罪では無いが、知らないものや得体の知れないものを「気持ち悪い」「汚い」という批判的な言葉で片付けてしまうことは罪であると感じている。
物事の成り立ちや性質を知れば、全ての物事に「良い点」と「悪い点」が必ずあって、差別される存在というものは基本的にない。
それらを知り、良い点を活かし、悪い点を殺し、どう活用していくかということだけを考えていけば、世界はより良くなっていくのでは無いかなぁと床下は常々思っている。
ところで、武道場に初キスを奪われたあの時の床下の気持ちは科学的にどう説明すればいいんですかね?見識者の方、よろしくお願いいたします。