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人生の意味

 

先日、このような質問をツイッターにていただきました。

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botからの質問なのか、はたまた画面の向こうにいる誰かからの質問なのかはわかりませんが、ツイッターでは手狭すぎるのでこちらにて回答をします。

 

さて、みなさんは自分の人生の意味について考えたことはありますか?

私はもうかれこれ10数年考えています。が、答えは未だ出ません。

 

どこから話せばいいのかわからないので、まずはなんでそんなもんについて10数年も考えてんだってところから順にお話しましょう。

以前にも理想の死に際 - 仮説トイレで言っていますが、私は高校生のころ、うつ病でした。

そのときに生きる意味ってなんだ、自分の人生の意味ってなんだと問いを繰り返しておりました。

例えば、幸福になるため、子孫を残すため、世界に名を残すため、などなど。

しかしまあ1人ディベート大会が大好き(?)だったので、反論が腐るほど出てくるわけですよ。幸福とは何を指すのか、子孫を残すことが自分の人生においてどう意味をなすのか、世界に名を残すなんてどだい無理な話ではないか、と。

まあ最終的には「結局それは自分の人生において何の意味があるの?」という問答法ですべてカタがついてしまうわけですが。

 

とまあそんなこんなでうつ病が治るとともに徐々にそういうことを考えなくなっていって、結局、答えは出ずじまいです。

 

 

というわけで、今日はこの記事で1人ディベートを繰り返して自分の人生の意味を見つけていきましょう。みなさんどうぞお付き合いください。

さて、私の人生の意味ですが、とりあえず自分の今の人生の大部分を占める「仕事」を中心に据えて考えてみます。

手っ取り早く言えば「仕事で成果を収めること」が自分の人生の意味だってことです。

 

さあこれはディベートですので、反論を考えます。読んでいるみなさんも一緒に考えてみてください。

そんな人生はさみしいからダメ

みたいな感情論はナシです。論理的に考えてくださいね。

 

 

 

 

 

はい、私、思いつきました。

仕事は60歳なり70歳なりで定年を迎える。日本人の平均寿命は約80歳なので、人生の終幕において人生の核をなす部分である「仕事」に携わっていないのは、そこを人生の中核に据えるに値しないと考えられる。よってこの主張は却下されうる。

どうですか?まあ最終的にはみなさんの溜飲が下がるかどうかが大事なので、この反論に納得のいかない人は別のを考えてください。

私的にはさきほどの主張よりもこの反論の方がしっくりくるので、「仕事で成果を収めることが人生の意味である」というのはナシです。

 

 

本来ならさっきの反論に対する反論を考えるんですが、ダラダラやっても面白くないので次にいきましょう。

それでは、仕事ではないとすれば日々の時間において2番目に占める割合の高い「生活」の部分に答えがあるのでしょうか。仕事と違ってこちらには定年もありませんし、可能性はありますね。

反論を考えてみましょう。みなさんもどうぞ。

 

 

 

 

 

あ、ちなみにこの反論を探す手法を取っているのは私が数学科の教員だからですね。ほら、高校数学の命題論理の分野で「偽であるならば反例も示せ。」みたいな問題文見たことないですか?その反例探しをしているってイメージです。(わけがわからん人は無視してください)

さて考えましょう。

 

 

 

 

 

はい、思いつきました。

生活とはいわばルーティンである。朝起きる、歯を磨く、ご飯を食べる、出勤する、家に帰ってくる、お風呂に入る、ご飯を食べる、歯を磨く、寝る。多少の違いはあれど生活の中心はこれの繰り返しである。そのルーティンに人生の意味を見出すとするならば、それは既に達成されたものであり、今死ぬことと将来的に死ぬことに差が生まれない。したがって、人生を賭けてまで達成すべき人生の目標とはなりえない。

とかですかね。

どうですか?みなさん溜飲が下がりましたか?

自分で書いておいてなんですが、あまりこれはしっくりきませんね。というのも、この反論に対する反論が思いつくからです。

それは

生活の中心にはルーティンが存在するかもしれないが、人生の意味とすべきはその中心の部分、すなわちルーティンではなく、それ以外の部分が重要となってくる。仕事が終わって友人と交流することもあれば、休日に恋人と逢瀬することもある。ときには羽目を外し、ときには勉強をし、ときには運動をし、そういった部分に人生の意味は存在する。

といった感じでしょうか?

お、なんだか人生の意味が見えてきましたね。

私的にこっちの方がすんなりいったのでこれを採用します。

 

 

 

さて、光明が見えてきたところでこのへんで終わりにしましょうか。あんまり長くてもみなさん飽きますしね。

納得いかなかった部分や納得いった部分、その先のところは是非自分で考えてみてください。

私はこれをキッカケに自分の人生の意味を手繰り寄せてみますね。

それでは。

 

 

 

 

 

 

アインシュタインの人