仕事を始めて半年が経ちました。
電話対応もできるようになったし、色々な問題に解決策を提示できるようになるほど色んなことを覚えました。
多分、もともと成長欲求がかなり強いんですね、僕。
中学のときイジメられてたからですかね。アイツらを見返すために、成長して圧倒的立場からボコボコに見下してやろうみたいな気持ちの断片が身体のどこかに残ってるみたいです。
でも、根が怠惰なので極力努力はしたくない。効率や合理性を重要視するのも多分そのせいですね。最も少ない資源で高いパフォーマンスを発揮したいんです。
そこが最近弱点かな、って気づき始めました。
どういうことかというと、怠惰で合理的な人間って、何か問題が起こったときに今自分の持つ資源でなんとかやりくりしようと思っちゃうんですね。だから思考はワンパターンになるし、そうなると抜け漏れも出てくる。
まぁ実際はその思考パターンで及第点が得られるほどのパフォーマンスは発揮できてるんですよ。特段大きなミスも今のところないですし、現状これでもいいんです。
でも、自分の成長欲求に照らしたときに、上長がクリティカルな手法を提示したりすると、もうはちゃめちゃに悔しいわけですよ。20も年上なので仕方ない部分もあるんですけど、それでももうはちゃめちゃに悔しいんです。
自分自身に腹が立って仕方ない。
だから、資源の使い方ばかり覚えても限界があるなって思うわけで、今後はそもそもの資源を増やしていかないとな、と思う次第です。
これがいっこめ。
にこめは、感情を育てないとなってことです。
そうですね、高校1年生ごろからですかね。僕の中に感情<論理の不等式ができました。
まあ数学の教師なんだから論理は重要視したいんですけども。
でもまああまりにも感情が希薄すぎるなと。
じゃあなんでかなって考えてみたんです。
多分、芸術に触れる機会が圧倒的に少なかったんですね、今までの人生で。あとはまあ鬱の影響もあるんでしょうけど。
もともとはめちゃくちゃ情に深い人間だったんですよ。
他人に期待を抱いて、他人のことで心の底から一緒に泣いたり喜んだりできてたんです。でもあまりに過度すぎた。結果、鬱です。
そこからはまあドライなもんで、俺が俺がの気持ちが強くて自分でも鬱陶しいほど。
他人に期待を寄せれば裏切られる可能性が生まれる、ならばそもそも期待をしなければよい、みたいな発想です。
でも、変に聡いので、ピグマリオン効果を狙って生徒に対しては期待しているフリをしたり。ホント最低ですね。多分、鋭い生徒は気づいてるんだろうなと感じてます。そういうのは言わなくても出ちゃいますからね。
まあそんな感じで、また感情を取り戻さないとなと思ってます。「感情を取り戻す」、字面だけ見ると厨二っぽくてウケますね。
最近はアニメをよく見てます。僕の場合、本を読んだ方が没入できるので、感情を育てるにはそっちの方がいいんですが、まあ手軽さを考えるとね。
いやぁ、こういうところで怠惰が出てくるなあ。よくないね、やっぱり本を読みます。
そんで最後。コミュニケーションですね。
ほら、よく言うじゃないですか。IQに差がありすぎるとコミュニケーションが難しくなるってやつ。アレです。
生徒にレベルを合わせて話をするのがめちゃくちゃしんどいんですよね。教師やめちまえって感じですが。
いやでもしんどいものはしんどい。仕方ない。
だってめちゃくちゃ気を使うんですよ。神経すり減らすんですよ。
何か発言する前にコンマ2秒ぐらい「この言い方で伝わるかな?相手は理解できるかな?」って考えるのめちゃくちゃしんどいっすよ。
俺は常にフルスロットルで話をしてえ。
とまあこんな感じでコミュニケーションにも課題アリです。
ストレスを感じながらレベルの低い話をするべきか、己が道を行くかの如くパワー全開で話をするべきか。どっちが生徒のためになるのか、それはまた今度考えてみます。
というわけで備忘録的に書きました。以上。
アインシュタインの人