「彼女にさぁ」
「なあ、おい、聞いてっか」
聞こえてはいるが、聞こえないようにしていた
下らない話をした後に、しばしのクールダウンというか、小休止みたいな沈黙がやって来ることがある
その沈黙を破るための彼の話は、大抵が自己中心的というか、よく分からない青年の主張めいたものだと、短い付き合いだが何となく分かっていた
彼はそのよく分からない主張をただ口に出したいだけだから、きっと受け答えなんてしなくていいんだろうと思っていたが、どうやら違うらしい
仕方なく、ため息混じりに『あぁ』とだけ言葉を返す
「彼女に、肉の中で何が一番好き?って聞いたんだよ」
『何年付き合ってる?』
「9年」
『随分進展がないカップルだね』
「いやいや、逆にだよ。会話しすぎて段々と話すネタが無くなっていくんだよ」
『それで、彼女は何て答えた?』
「おい今のくだり終わりか、茶化しといて」
『いいから、何て答えたの?』
「鶏肉」
『普通だな』
「いや鶏肉だぞ?!おかしいだろどう考えても!!!!!」
『普通だよ』
「いーや違うね、普通じゃない。何故なら」
『いや、喋らなくていい』
「何で?!」
『何を言いたいかは分かってる、肉料理の中でってことだろ?』
「ちっげーーーーーわ!!!!!!!」
彼との交流は少々疲れる
彼を理解したと思っても、実はとても遠くにいたりする
一度言ったことを簡単に覆すような軽薄な口調なのに、時折こちらが反論できないほどの真理を突いてくることがある
今回は真理を突かれることは無さそうだが
関係ないことだが、肉に関する問いを聞いてから、母のことを思い浮かべていた
「今日から我が家ではシイタケを肉として扱います!!!」
声高らかに宣言した母に、私も兄も父も開いた口が塞がらなかった
特に兄は大のキノコ嫌いだったために、反抗期の引き金になったのではと勘繰るレベルで母にブーイングを浴びせたものだった
母の心境にどんな変化が起こったのか、幼い頃の私には分からなかったが、きっと今の彼みたいな感情だったんだろうか
いや、きっと違うな
「豚か牛かってことだよ!!!!」
『はぁ?』
「だーかーらー!肉っつったら豚か牛の二択だろ!」
『なんで?』
「よく考えてみろ、すき焼きもしゃぶしゃぶもステーキも焼肉も、主役は豚か牛だろう、ハンバーグに使われる合挽きだって豚と牛だ」
「そりゃあ勿論、焼肉やすき焼きに鶏肉が使われることはあるけどさ、あれは変わり種じゃねえか、鶏ひき肉が使われたらそりゃあハンバーグじゃなくてつくねだ」
「逆に鶏料理を考えてみろ、焼き鳥に水炊きに唐揚げ、どれも鶏肉にしか出せない美味しさがある、俺は別に鶏肉が嫌いなわけじゃない」
「だから俺にとっては、豚と牛こそが肉という代名詞に相応しいと思ってるし、鶏肉は肉じゃなくて鶏肉なんだよ」
「肉の中で何が一番好き?って問いに鶏肉って答えるのは、鮪って答えてんのと同じなんだよ、俺にとっては」
『それはあくまでもお前にとってはだな』
「9年だぞ?!」
『9年付き合ってたって意図を汲み取れないことはあるという良い教訓になったじゃないか』
『その理論で言えばだ、最初から彼女が鶏肉と答える可能性を考えて豚と牛どっちが好き?って聞けばよかったんだよ、それが9年だろ』
「9年経ってもそんなクソみたいな忖度せにゃならんのか?!」
『忖度じゃなくて懇切だよ』
「甘い韻だな、そんな音楽じゃ俺の心は揺れねえよ」
『固い韻だな』
「あ゛ーーーーーー、吉沢亮になりてえな、吉沢亮になるにはどうすればいいと思う?」
『ビタミンB群を摂れ』
「摂ったらなれんのか、吉沢亮に」
『基礎代謝向上、疲労改善、肌ツヤと髪質改善、ニキビと口内炎の予防、脂質代謝促進』
「最強だなビタミンB軍」
『脳内変換が違うけどな』
「DHCのサプリメントにあるじゃん、買っとこ」
『横着しないで食い物から摂りな』
「何に含まれてんだ?」
『豚のあらゆる部位を食うのが一番効率が良い、内臓含め』
「じゃあ俺摂ってるわ、豚が一番好きだし」
『あぁ、そうですか』
「お前は?肉の中で何が一番好き?」
『鮭』
「お前とは9年続きそうな気がするな」