「この低めのスネアが良いんだよなぁ」
いつものようにドン・キホーテへ向かう車中で、好きなバンドの曲を流しながら彼は言う
「なあ、スネアの音ってさ、いつ聴き分けられるようになったのかな」
いまいち主旨が掴めない
自分でスネアの音が良いと言っておきながら、二言目には訳の分からない質問をしてくる
「いるんだよなぁ、音楽に携わってたわけでもないのに、スネアの音を聴き分けられる奴がさ」
「例えばの話だけどさ、[エビ]って存在を全く知らない人間が無人島に一人でいたとするじゃん?
食ったことも、見たことも聴いたことも、[エビ]って単語すらも知らない人間
そいつが無人島でたまたま[エビ]を見つけて食べるんだよ
きっと、こんな美味いものは生まれて初めて食べたって感動すると思うんだ
でもさ、そいつはその無人島に一人でいる限り、ゼッッタイに[エビ]が[エビ]だって知ることはできないわけじゃん」
『…だから?』
「いや、だからぁ、スネアもそうじゃん
どんなにバンドが好きで、どんなに聴き込んでいたとしても、聴いてるだけじゃどの音が[スネア]かなんて分かるはずないんだよ
でも俺はいつの頃からか、[スネア]を[スネア]として聴いているんだ
バンドをやったこともないし、ましてや楽器なんてピアニカとリコーダーぐらいしか触ったことないのにだぜ?
それって不思議じゃねえか?」
ピアニカという古臭い言い回しについ気を取られてしまったが、言われてみればそれは確かにそうだ
楽器に疎い人間には、どの音がスネアかなんて知る由もない
ましてやスネアがドラムの一部だということさえ認識できないはずだ
「人間の凄えとこってそういうとこだと俺は思うんだよね
洞察力っつーの?直観力?
何でもいいけどさ
俺なんて小学生の頃はハナ垂らして野山を駆けずり回って
中学の頃は薄っぺらい恋愛にハマって
高校も大学も適当に決めて今働いてるわけだけどさ
そんな俺でも人間の凄え力ってのが備わってんだなって思うと
人生も悪くねえなって思うんだ」
『適当かどうかで人生は評価されるもんじゃないよ』
「スカしてんなぁ」
『でも、まあ、悪くないのは確かだな』
「あ、思い出した」
『何を?』
「いや…兄貴に誘われて軽音部の先輩の家に上がった時にさ、スネア教えてもらったんだったわ」
『そうか』
『でも、悪くないよな』
「んん、悪くないな」