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きょういくってなあに?

教育のあるべき姿ってなんだと思います?

いや、特に考えたこともないですよね、すみません。

 

私、現在、高校教諭を目指して日々奮闘しています。基本的に家でゴロゴロしてるだけですが。

まあ今の生活は単純です。バイト行って帰りにバーに寄って家に帰ってダラダラする。これだけです。こうやって生活リズムを固定するのは嫌いじゃないです。区間区間で頭の切り替えができるので。

 

違う、そんな話をしたいんじゃない。

 

今日は教育とはなにかについての話です。

これまたザックリしたテーマですが許してください。

 

さて、みなさんの高校時代を思い出してください。中卒および高校中退の方は、すみません、置き去りにします。

みなさんの高校時代はどんな風でした?校則は厳しかったですか?勉強は大変でしたか?部活動はキツかったですか?

全然、そんなことないよって方は結構です。よい人生を歩んでいますね。

いや、実際めちゃくちゃしんどかった。って人はいますか?私と同じ高校に通っていた方はめちゃくちゃしんどかったんじゃないでしょうか。私はめちゃくちゃしんどかったです。

校則は厳しいわ、勉強はガリガリ進むわ、部活動は……私は入ってませんでしたが、しんどそうでした。

 

 

で、これって人生のなにか役に立ったかな、ってふと思い返してみたんです。

 

 

正直、なんの役にも立ってないんですよね。

まあ今、高校教諭目指すぞ!って思っていて、その原点はあの辛く苦しい高校時代にあるので、そういった意味では役に立ったのかもしれません。そこそこいい大学に入れたのも高校時代の大変な勉強のおかげです。

でも私が言いたいのはそういう意味じゃないんです。それはbutterfly effectみたいなもんで、それを言い出すと私の今までの人生すべて現在の私に還元されてますからね。そういうことじゃないんですよ。

 

校則が厳しかったことがなんの役に立ったのかと。髪の毛を短くしてなんの意味があったのかと。制服を着てなんの意味があったのかと。厳しい規律に縛られてなんの意味があったのかと。

 

生徒にとってはなんの意味もないんですよ。

生徒にとっては、ってことは、そうです、学校側の観点では大いに意味があります。

 

現在、塾講師のアルバイトをしてまして、集団、個別ともに経験をしています。生徒にイチから教えるのはとても大変です。

で、集団塾の方ですが、校舎によって方針がまったく違うんですよ。地方自治みたいな感じで、その校舎長の意向に沿って運営をしていくんですね。校舎長が厳しければ厳しい塾に、優しければゆるい塾になるんですね。

私がどちらも経験して思ったのは、厳しくした方が圧倒的にラクってことなんですよ。

めちゃくちゃラクなんですよ、生徒に厳しくすると。

例えば宿題ひとつとっても、厳しい校舎では宿題をやってこなければどんな理由があろうと居残りさせるってのがルールなんです。でもゆるい方だと生徒になぜ宿題が出来なかったのか話を聞いて、どうするかを一緒に決めるんですよね。

生徒側にも家の用事で、部活が忙しくて、宿題を家に忘れて、わからない問題が多くて、など事情は色々あります。例えば前者2つなら居残り、家に忘れたなら次回持ってくる、わからない問題があるならあとで解説する、など、対処の方法はたくさんあるんです。

こう考えると厳しい方が、先生としてはめちゃくちゃラクなんですよね。これが10人も宿題忘れてきたら、もうめちゃくちゃ時間使いますからね。

 

 

校則もおんなじようなもんです。

厳しくしとけば問題行動を起こす生徒も減りますからね。生徒が何をやってもそれは規律を破った生徒に問題があるわけですし。

教師としても「ルールだから。」ですべて事足りるわけです。

 

 

 

でも学校って誰のための機関なのかって話ですよ。

 

 

生徒のためのものじゃないですか、学校って。

大人が金を稼ぐ場所じゃないんですよ。ラクしてどうするんですか。社会に出ても生きていけるように生徒を育てる場所じゃないですか。

そりゃもちろん先生は忙しいです。過労死もクソほど多いです。じゃあ少しぐらいラクしてもいいじゃないかってそういう話じゃないんです。先生の仕事量を減らすために教育の質を落とすなんて愚策でしょうよ。

先生の数増やさないといけないんです。それしかないです。

 

 

熱くなって、脱線してしまいました。

 

 

そう、教育とはなにかって話でしたね。

私の持論としては「生徒の夢の実現に向けて最大限後押しする」のが教育だと思います。

勉強したくないなら勉強しなくていいです。部活やりたくないなら部活やらなくていいです。

生徒一人ひとりが持つ長所を思う存分伸ばしてあげるのが教育だと思ってます。

 

苦手の克服なんて時間の無駄です。苦手なものが得意になることなんてまあないです。10時間かけて苦手な分野を10伸ばすぐらいなら、10時間かけて得意な分野を15でも20でも伸ばした方が圧倒的に得です。

 

テストのとき、他の教師が生徒に言ってるのをよく聞きます。「90点取れる得意な分野をどれだけ勉強しても10点しか伸びしろがない。それなら20点しか取れない苦手な分野を勉強した方が80点伸びしろがあるから得だ。」と。

テストに関してはこの上なく正論です。ただ、生き方としてこれを般化するのはダメです。こと人生においては物事を極める上で上限なんてないことがほとんどなので。

 

 

私はテストの点数以外のところで生徒を見てあげたいですね。

 

 

 

 

アインシュタインの人