仮説トイレ

わかられた…

じゃ!

100の質問
19.5. 今年の漢字は?

 

A. 別

 

先日当ブログの管理主であるミルトンさんより指令が出た。

 

 

「全員、『今年の漢字』をテーマに記事を書け」と。

 

 

床下のみ更新頻度が高すぎることへの配慮なのか、はたまた自分が他人の記事を読みたいだけなのか、真相は分からないが、ひとまずありがとうございます。

 

 

そのうちメーンの皆々様の記事が上がると思うので、読者は楽しみに待っているといい。

 

 

ということで、トップバッターは相変わらず床下。

 

 

 

 

 

 

 

床下は年を経るに連れて、別れを惜しまない人間になった。

 

 

随分幼い頃はそうでは無かった。

 

 

家に祖父母が遊びに来た時は、床に転げ回り、精一杯の声で泣き叫びながら帰るのを引き止めたものだった。

 

 

しかし今では、どんなに久しく、どんなに親しい人に会ったところで、別れの時は「じゃ!」の一言で、振り返ることもなく去っていく人間になった。

 


別れる時に「じゃあね、またね」と長々と惜しむことを今の床下は良しとしない。

 

 

良しとしないだけで、寂しくないというわけではない。

 

 

惜しめば惜しむほど、別れた後の寂しさは重く深くなる。

 

 

それなのにヒトは忘れる生き物なもんだから、その寂しさも時が経てば薄まっていく。

 

 

 

 

床下は、その薄まる感覚がひどく苦手だ。

 

 

 

 

あんなにも寂しがっていたのに、あんなにも悲しかったのに、日常に揉まれるうちに、そんな感覚など最初から無かったかのように忘れていく、忘れられていく。

 

 

手に届く範囲の愛する人々だけで満足し、それ以上を求めなくなる。

 

 

そのくせ、自分が辛い思いをした、そんな都合の良い時に限ってその寂しさをふと思い出し、「そう言えば随分会ってないね」なんて連絡して、寂しさを埋めようとする。

 

 

寂しさはこんなにも刹那的で都合の良いものかと思うと、床下は気分が悪くなってしまう。

 

 

忘れていた自分、忘れられていた自分、その事実がカウンターパンチのように重くのしかかってくる。

 

 

だから床下は別れを惜しまない。

 

 

どんなに寂しいと思っていても、「今生の別れでもあるまいし」と強がりを言ってその場を去っていく。

 

 

寂しさは心の奥底にしまい込んで、次に相見える時まで忘れないように大事に取っておく。

 

 

寂しさを忘れずに心に留めておくことは一見辛いことのように思える。

 

 

だが、かの有名な赤い彗星シャア・アズナブルが「当たらなければどうということはない!」と言い放ったように、床下にとっては「忘れなければどうということはない!」だ。

 

 

寂しさを溜め込むよりも、寂しさを忘れたことを思い出すことの方が床下にとっては遥かに辛いことなのだから。

 

 

床下はこんな性分なもんで、過度の寂しさを享受すると心のキャパシティが飽和状態になってしまう。

 

 

 

 

 


2017年は、別れの多い一年だった。

 


多くの別れを経験してしまい、現在の床下はかなり危険な状態になっている。

 

 

溜め込んだ寂しさが今にも溢れ出しそうなのを何とか堰き止めようとしている。

 

 

いや、寂しさというのは各個人それぞれに対して抱く特異的なものであると床下は思っている。

 

 

あるものへの寂しさを他の誰かや何かで埋めることなどできないと。

 

 

だから寂しさはそれぞれ専用の箱を作り、そこに詰めて心の棚に並べていく。

 

 

だから、正確に言うと「これ以上寂しさを並べる棚の隙間が無い」という感覚だ。

 

 

そのぐらい2017年の別れは多かった。

 

 

そして、永遠に保存しなければいけない別れが多すぎた。

 

 

 

 


まず手始めに、SMAPとの別れがあった(今ちょっと笑った人は悔い改めなさい)。

 

 

あまり知られていないことかもしれないが、床下は大のSMAPファンである。

 

 

母がSMAPファンということもあり、保育園の送り迎えに車中で流れる曲は大抵SMAP激走戦隊カーレンジャーだった。

 

 

そのためSMAPの曲は耳に残っており、家で流れるテレビもSMAPが出ているものばかり見ていたため、自然とSMAPのファンになっていた。

 

 

何より、SMAPのデビュー日である9月9日が床下の誕生日であることに運命を感じずにはいられなかった。

 

 


だからこそ、彼らの解散は耐え難いものだった。

 

 

加えて、この寂しさは永遠に背負っていかなければいけなかった。

 

 

 

 

人が死ぬ時、物が壊れる時、寂しさを埋める術はない。

 

 

人と会い別れることはまた会えることを暗示するが、死はそうではない。

 

 

死による寂しさは生涯背負っていかなければならない。

 

 

 

解散を告げるSMAP×SMAP最終回のラストステージの背景は多くの花で彩られていて、それはまるで葬式のようだった。

 

 

床下はこの時、「これは死だ」と絶望した。

 

 

一気にメンバー5人分の死を享受した感覚に等しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

次に、友人の死だ。

 

 

これはつい一昨日のことだが、以前記事に書いた「死にたがり」さん(ケーンヂくーん - 仮説トイレ)が亡くなった。

 

 


覚悟はしていた。

 

 

しかし、2日前に

 


「まだ死なないんすか?笑」

 

「いやあ、本当に死ぬんかね俺は?笑」

 

 


と下らない問答を交わしていた相手が亡くなるというのは、やはり辛いものだった。

 

 

珍しく感傷に浸ってしまい、Base Ball Bearの「Perfect Blue」を聴きながら心の中で涙を流してしまった。

 

 

君は翔んだ あの夏の日
むき出しの太陽にくちづけしようと そっと目を閉じ
舞いあがった その黒い髪
凛とした青い空にとけてしまったのにね
会いたいよ
また、君に

 

 

 

床下は友人の死というものを経験したのは初めてで、遅かれ早かれ彼はこうなる運命だったが、こんなにも苦しいものとは思わなかった。

 

 

彼は意識が途絶える前に「今回は死ねるかもな……」とまたもや軽口を叩いて満足気だったようだが、まあ何とも大きな別れの箱を抱えさせられてしまったものだ。

 

 

とは言ってもいつまでも彼の箱だけ大事に抱えるわけにもいかんので、早く棚にしまいたいものだと思ってはいる。

 

 

 

 

 

 

 

兎にも角にも、これらに加えて小さな別れの箱がいくつも積み重なり(就活で御社にめちゃくちゃ別れを告げられたのも含む)、2017年はついに隙間がなくなってしまったのだ。

 

 

いやいや、やってらんないねホントに。御社の箱は床に置いといていいすかね?

 

 

 

 

 

 

 

 


とまあこんな感じで、2017年は非常に背負うものが増えた年でした。

 

 

下らない一時の寂しさは捨て置けばいいものを、どうにも床下は不器用なもんで、それができんのです。

 

 

 

 

 


さて皆さん、心の棚に隙間がない床下は、2018年どのような行動に出ると思われますか。

 

 

答えは明白、棚に隙間が無ければ、増築するしかないのです。

 

 

DIYです。

 

 

メンタルDIYです。

 

 

 

増築するにはどうするかというと、新しい人と出会い、新しい物に触れることですね。

 

 

 

人というのは出会いと別れを繰り返しますから、母数が多くなれば保存する棚を増やすのはごく自然なこと。

 

 

アレですよ、ソシャゲで手に入れたキャラを保存しきれなくなってきたら保存BOXを石使って増築するでしょ。

 

それと同じです。

 

 

 

 

なので、できることならば2018年の漢字は「会」にしたいものだと床下は思っております。

 

 

 

メーンの皆さんもまだ直接お会いしたことはないので、床下のメンタルDIYにお手伝いいただけるよう、是非お会いしましょう。

 

 

 

 

 

 

じゃ、良いお年を(記事更新は当然続けます)。