100の質問
17. 恋愛ドラマとコミカルなドラマ、どっちが好き?
A. コミカル
またもや文句をつけたくなる質問が来てしまった。
何故にこの2択なのか本当に疑問である。
数あるドラマのテーマからこの2つを対称的なものとして選んだ理由が不明だし、そもそもこの2つの概念は床下の中では同じカテゴリーに存在するものではない。
ドラマや映画や小説といった「ストーリー」を展開するにあたって、そこには「目的」と「雰囲気」がある。
「目的」というのは例えば
「地球を救う」だったり
「復讐を果たす」だったり
「何かの問いに対して答えを出す」だったり
要は明確なゴールがあるものだ。
一方「雰囲気」というのは、その目的を達成するまでの道中がどういうものかというところだ。
凄惨なまでに残酷であったり
重苦しく悲しみに満ち溢れていたり
笑いあり涙ありだったり
単純にめちゃくちゃコメディだったり
ストーリーを構成するこの2つの要因は、特に強い因果関係を持っているわけではない。
「復讐を果たす」が目的であるからといって、必ずしも重苦しい雰囲気でストーリーを進める必要はないように。
そういった意味で今回の2択を考えてみると、やはりどうにも納得がいかない。
「恋愛」はどちらかといえば「目的」に属される。
「運命の相手と結ばれる」というメインテーマとして扱われることもあれば、「メインテーマの達成を通して愛を育む」というサブテーマ的立ち位置として扱われることもある。
一方、「コミカル」というのはどう見ても「雰囲気」に属するものだ。
別に地球を救おうが、復讐を果たそうが、運命の相手と結ばれようが、それをコミカルつまり喜劇的に展開させることは何ら問題ない。
よって、この2つはどう考えても相反するようなものではないということだ。
まあしかし敢えてこの2択で答えを出すとするなら、床下は迷わず「コミカルなドラマ」を選ぶ。
というのも、床下はあまり重苦しい雰囲気は好きではない。
面白いと思わないわけではないが、観るのに体力を要するため、中々観ようと思うことができない。
そして、昨今の恋愛ドラマというのは得てして雰囲気が重くなりがちなように思う。
いや正確には「恋愛を主目的として選んでいるドラマ」であるが。
大抵が、主人公やその運命の相手が難病を抱えているし、もしくは凄惨な事故に遭うし、相手の義理の兄がめちゃくちゃ悪い奴だったり、元恋人がなんやかんや問題を起こすし、ヒロインは十中八九レイプされる。
正直
やってられない
ひたすら重い、ひたすら地に堕とそうとする。
それでも愛って奴ぁ素晴らしいね、と最後に締めくくろうとするかのように。
制作者はKANの愛は勝つを相当聴き込んでいたに違いないと疑ってしまうほどだ。
恋や愛はそんなに貶めないと語れないものなのかと観てて辛くなってくる。
だから所謂恋愛ドラマというやつはあまり観る気がしない。
床下的には、惚れた腫れたの話はもう少しポジティブに語ってもらいたいと思わずにはいられない。
Base Ball Bearの「LOVE MATHMATICS」の歌詞みたいに、ダサくて笑える恋愛を床下は求めている。
檸檬を齧る君の事
ただただ見つめていたよ
月夜の晩にベランダで
想いを馳せて詠む五・七・五
1.2.3.4.5, +1.+2 and
君と僕の物語の始まりを告げた赤外線
君色の夜に布団の中で
輝くナンバー 090-2…
1.2.3.4.5, +1.+2 and x,y,z
=君が めくりめくるよ
今日も君が 四六時中
翼見えた 君の背中に
“You are the Venus”この例えどうだ
まだ解けない 君の気持ち
君+僕で「1」になりたいぜ
1.2.3.4.5, +1.+2 and you and me
=君が めくりめくるよ
今日も君が 四六時中
脳の右で 君と僕とが
million通り ABC
=君が めくりめくるよ
今日も君が 四六時中
数学似だが 恋ってやつは 公式にない
恋がしたいのさ この例えどうだ
はあ、世の中の恋愛ドラマが全部逃げ恥みたいな雰囲気だったらいいのに(観たことないけど)、いやさこの際世の中の恋愛ドラマのヒロインは全部新垣結衣がやればいいのに、なんて思ってしまう(関係ないか)。
とにかく床下はどんな「目的」のドラマであろうと、基本的に「コミカル」を求めている。
記事の紹介に上がった「エンジン」も、目的というかテーマはそこそこ重苦しい内容を含んでいるが、主人公の開けっぴろげな性格がそのストーリーに「コミカル」を加えることで、丁度よく笑って泣ける作品になっている。
床下はこういう「目的」と「雰囲気」が相反していながら、絶妙なバランスを保っている作品を好む傾向にある。
中でも宮藤官九郎脚本のドラマはその色が強く、床下が好きなドラマが数多く並ぶ。
どのドラマにも共通していることは、扱うテーマや目的がそこそこ重いということだ。
「池袋ウエストゲートパーク」はその昔池袋で流行ったカラーギャングたちの抗争
「木更津キャッツアイ」は主人公が余命宣告を受けている
「タイガーアンドドラゴン」は主人公がヤクザ
「流星の絆」は両親を殺された三兄妹が復讐を企てる
「うぬぼれ刑事」や「刑事ゆがみ」は主人公が殺人事件を取り扱う刑事
「ゆとりですがなにか」は現在の若者が抱える問題や就活の闇が描かれている
宮藤官九郎の作品にはいつでも暴力や殺しやクスリや避けられない死や現代社会の闇が内包されていて、しかしそれでいて「雰囲気」は終始コミカルである。
この絶妙なバランスに、彼独自の奇抜な伏線回収が加わることによって、観るものを笑わせながらも核心をつくような社会風刺を実現している。
ちなみにタイガーアンドドラゴンの主演はTOKIOの長瀬智也さんなんですが、長瀬智也史上最もカッコいいです。
床下はこの作品の長瀬智也に憧れを持ちすぎて落語家になろうと夢見たほどです(そういう話なんです)。
今まで好きなドラマについてつらつらと述べてきましたが、嫌いなドラマも同じようにあります。
以前の記事で、「邪な感情が見える食べ物が嫌い」と書いたように、「邪な感情が見えるドラマや映画」が嫌いなのです。
「温玉乗っけたらお前ら喜ぶだろ?ほら食えよ?」みたいな店主の顔が想像できる温玉豚丼が大嫌いなのと同じように、「お前らこういう展開にしたら泣くんだろ?泣けよほら」という制作者の意図が見える作品は観る気が起きないのです。
勝手に床下を全米に加えるなと言いたい。
その典型例が海猿なんだよな。
仙崎をピンチに至らしめて仙崎ついに息絶えるかと思わせといて奇跡の生還ーー!!!!ほら!!!!!泣けるっしょ!!!!!??!!
何なんだこの茶番は。
何なんだ仙崎は。
絶対生きて帰るっつって本当に生きて帰ってきてんじゃないよ。
邦画には得てしてこういう展開の映画やドラマが多すぎて、そこら辺が邦画が評価されないところなんじゃないかと床下は常々思っております、草々。
もう少しアルマゲドンを見習ってくれ。