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100の質問
15. 小さい頃の夢は?

 

A. バイクのレーサー

 

 

幼い頃の床下は心も体も弱い人間だった。

 

 

いや、未だに「人から嫌われるのが一番怖い」と思うような弱い心と、スポーツもやらず筋肉もつけず煙草を吸う弱い体を持ち合わせているのだが、それらを隠せるぐらいの知恵は身につけて生きてきた。

 

 

だが幼い頃は、それらを隠す術など持ってはいなかった。

 

持病のせいで身長は同級生の中で一番小さく、骨の発達も二歳ほど若く、女の子に殴られて泣いてしまうような子供だった。

 

 

幼馴染の女の子からは、腕を引っ張られただけで脱臼した幼少期のエピソードを今でもバカにされる(サイコパスなんじゃないかと思う)。

 

 

そのせいか、強い人や物に憧れた。

 

そんな中でも、何故かバイクに対して強い憧れを抱いていた。

 

 

もちろんその他大勢の子供達が抱く夢のように、スーパー戦隊仮面ライダーウルトラマンに憧れを抱くこともあるにはあったが、それらは床下にとって将来の夢にはなり得なかった。

 

 

 

何故なら、これはアニメや漫画にも言えることだが、床下が幼い頃に見たヒーローはヒーローになる前からある程度の強さと勇気を持っていたからだ。

 

 

シンジくんのようにナヨナヨしていないし

 

 

アムロのように殴られてわめき散らしたりもしないし

 

 

ピーター・パーカーのように冴えない学生などでもなかった

 

 

 

ヒーローはいつだってヒーローで、揺るぎない強さと自信に満ち溢れていたものだった。

 

あとイケメンだった。

 

 

 

だが、バイクのレースは違った。

 

今思えば、バイクをあれだけ速く走らせるには多くの技術と体力と精神力が必要なのだが、当時の床下にそんなことは分かるはずもなかった。

 

 

乗れば誰もが速いヒーローになれる、ヘルメットを被れば誰でもイケメンになれる、そんな程度にしか思ってなかった。

 

 

 


だからこそ、初めてテレビでバイクのレースを観た時、強く惹かれた。

 

 

自分でもヒーローになれるものがあるのだと、とても勇気付けられたのを今でも覚えている。

 

 

 

まあ、日本の片田舎にバイクのレーサーの素養を作る環境などあるはずもなく、夢は夢のまま終わってしまったわけだが。

 

 

 

だが幼い頃の夢というのは馬鹿にできないものがあり、今の床下の思想にひどく影響を与えている。

 

 

 

というのも、床下は直接的競争があまり得意ではない。

 


競争には直接的なものと間接的なものがある。

 

 

自分以外の誰かと対峙し、相手を打ち負かすことで自分の優位を示すのが直接的競争。


誰かと対峙してはいるが、自分と相手の「記録」を比較することで優位を示すのが間接的競争。

 

 

 

バイクのレースは自分以外のレーサーと直接対峙して走るものではあるが、結局のところ、一番速く走ることだけを考えれば良いわけだ。

 


サッカーやボクシングや将棋といった競技のように、相手を負かすことを考える必要は(ノウハウ的にはあるのだろうけども根本的には)ない。

 

 

 


そのような間接的競争性を含む競技に憧れたことが、今の床下を形成している。

 


根本的には自分のことだけを考えればいい徒競走やマラソン大会や水泳大会やボーリングは比較的得意だったし、知識を溜め込むことで合格点を超えさえすればいい受験勉強も大して苦ではなかった。

 

 

そういうものでプレッシャーを感じることは一度も無かった。

 

 


逆に直接的競争が起こり得るものは苦手で、議論で意見が対立した時には直ぐに折れてしまうし(相手の論理が成り立っていれば)、何かを選択する際に希望が被ってしまった場合は相手に譲ることが多い。

 

 

 


自己を磨くことのみに集中すれば結果を得られるものは、自己分析をするだけでいいからとても楽だと床下は思う。

 

 

そこには自己責任の四文字があるだけで、他には何もない。

 

 

 

 

 


以前の記事で、「エンジン」というドラマについて一度語ったことがあると思う。

 

 

簡潔にあらすじを述べると

 

ある事件を機にプロレーサーをクビになった神崎次郎(木村拓哉)が実家に帰ってくると、実家は児童養護施設になっていた。

 

仕方なくそこに居候した次郎と心に傷を持った施設の子供達との交流を描く笑って泣けるハートフルストーリー!

みたいなそんな感じです(あらすじって書くの難しいな)。

 

 

その中で、床下が感動したワンシーンがある。

 

登場人物は2人

 

次郎(木村拓哉
主人公。

 

美冴(上野樹里
施設の子供の中で最年長の高3。小学校の修学旅行から家に帰ってきたら家族全員夜逃げして自分だけ捨てられたという過去を持つ。

 

 


大学進学を考えている美冴だが、「家庭の事情がバレればどうせ望む就職もできない」と世の中の不公平を理由に諦めようとしていた。

 

 

それを聞いた次郎との会話。

 

 

次郎「不公平って言うけど世の中不公平当たり前なんだよ。レースなんて不公平の縮図だぞ。」

〜中略〜

次郎「ホント天は人の上に人作りまくりだし、人の下にも人作りまくりだよ。俺なんて30周遅れのスタートだよ。」

〜中略〜

次郎「さっき不公平は当たり前だって言ったけどさ、何にも持ってねえ奴が、何でも持ってる奴に勝てる可能性ってあるよな、0じゃねえな。」

 

美冴「またレースの話?」

 

次郎「当たり前じゃねえかよ。お前だってレースやってんだろ?」

 

美冴「え?」

 

次郎「お前だけの大事なレースだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 


木村拓哉、神ですか?

 

 

 

 


めちゃくちゃ良いこと言っちゃってますね。

 

人生をレースに例えるとはね…。


人にはそれぞれに自分だけのレースがあって、そこには自分との闘いだけがある。

 

他人がどうとか不公平がどうとか言ってないで、克己心のみを糧にして努力すれば報われる可能性も0じゃないってことですね。

 

 


床下にとってこのドラマは聖書のようなものなので、皆さま是非一度ご覧ください…。

 

 


とにかく、こんなセリフに感銘を受けてしまうのも、床下が間接的競争のみを考えているからというわけである。

 

 

 


では最後にもう一つ、そんな床下が感動したBase Ball Bearのリアリティーズという曲の歌詞を引用しようと思う。

 


誰かでありたいなら 
席につくことさ
隙間に 地べたにでも 
空いてる場所を見つけて

本当に変わりたいなら
認めることさ
カエルやエキストラじゃあ もう
いられそうにない自分を

自分になりたいなら
出かけることさ
どこかに どこにだって
椅子を置けばいい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで100の質問に答えるというこのブログのスタイルも間接的競争っぽいすね。
全部答えたら100万円くれないかな。