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100の質問

8. 苦手な動物は?

 

A. 鹿

 

床下は曇りなき眼(まなこ)がめちゃくちゃ苦手である。

 

曇りなき眼に見つめられた瞬間

蛇に睨まれた蛙の如く身動きが取れなくなり

ファイナルファンタジーで敵とエンカウントした際に起こる画面エフェクトの如く視界は歪み

脳内ではFF10のノーマルバトル(https://youtu.be/zNoem1VEtyc)が再生される。

 

その緊迫感はアムロとシャアのフェンシング対決にも引けを取らず、思わず

ララァーーーーーーーーーー!!!!!!!!」

と叫びたくなってしまうし

サウロンの目に見つめられたフロド・バギンズのように心臓が締め付けられるかのような錯覚に陥る。

 

今風に言うと曇りなき眼は「無理...」である。

 

 

 

曇りなき眼とは、文字通り瞳に一点の曇りもない状態を指す。

邪 or/and 複雑な感情を抱かず

ただ一つの思いを瞳に転写し

まっすぐとこちらを見ている。

そういうものを曇りなき眼と呼ぶ。

つまりは、表情がどんなものであろうと曇りなき眼を相手に向けることはできる。その顔が笑顔だろうが、精悍だろうが、怒りで歪んでいようが、瞳に陰りがなければそれは曇りなき眼である。

 

 

 

床下が人生で初めて曇りなき眼と対峙したのは、4歳の時だ。今でも良く覚えている。両親と共に映画館へ行った時のことだった。入った劇場ではジブリの「もののけ姫」が上映されていた(もののけ姫 - Wikipedia)。

今でこそ

ジブリについて語らせれば夜を3回またいでも終わる気配がない」

と友人に言わしめた床下ではあるが、ベイビーでプリティな頃の床下はジブリのいろはなど知る由もなかった。

そんな無垢な状態の床下は、「もののけ姫」を観るや否や、恐怖で涙が止まらなくなってしまった。

 

何故か。

 

この映画、曇りなき眼がめちゃくちゃ出てくるのである。

知っている人しか分からない話だが、シシ神様に始まり、ヤックル、オッコトヌシ、モロ、猩々たち、おまけに主人公のサンとアシタカ、どいつもこいつも曇ってねえのだ。純粋な思い、純粋な怒り、純粋な虚無、純粋な笑み、純粋な献身、どれもこれも一点の曇りもない。というか曇りなき眼という単語も、もののけ姫の劇中で使われているものだ。

 

ベイビー床下はそれら全てを脳内で言語化したわけではなく、生物としての本能の部分でダイレクトに感じ取っていたのだ。泣き叫ぶ床下は父に抱えられてあえなく劇場の外へ退場となってしまった。しばらくは恐怖で観直すこともかなわず、観ることができるようになったのは中学に入ってからだった。

 

 

 

しかし、もののけ姫に慣れた今でも、曇りなき眼というのはどうにも苦手で適切な対応策をとることができないでいる。

例えば、

赤子に見つめられたとき

純粋な夢追い人と会話をしたとき

まるで顔に「ヤンデレ」とでも書いてあるかのように上下左右四方八方全てが「ヤンデレ」という概念に包まれた異性に告白されたとき

床下は相手を直視することができなかった。

 

それどころか、膝はボルテックスミキサー(有機実験で使う)のようにガクガク震え、顔は引きつった半笑い状態になり、中二病だった頃に回帰するように「やれやれだぜ...」などと呟いてしまう。

ニート漫談のガリガリガリクソンのように「お~こわっ!」などとおちゃらけるメンタルを床下は持ち合わせていない。

赤子ならば自然と目をそらしてしまうし、夢追い人は目を合わせずに相槌を打つだけの機械と化してしまうし、ヤンデレには気圧されて思わずOKしてしまい後々痛い目にあいそうになった(そのうち書きます)。

 

 

 

鹿は、上述した奴らと同等、いやそれ以上の曇りなき眼を有している。

東大寺に行った時

宮島に行った時

北海道に行った時

峠を攻めた時

そこに鹿はいて、じっと床下を見つめていた。

あの床下の全てを見透かしているような瞳は何にも代え難い恐怖だ。床下は「何見てんだよぉ!」と声を荒げながら早足でその場を通り過ぎることしかできなかった。

周知の事実だが、そんな行動は曇りなき眼に打ち克ったことにはならない。奴らに対抗するには、奴ら以上の「曇りなき眼」を身につけるほか無いのだ。

 

 

だが、残念ながら床下は人間として生まれてしまった。

 

生物の中で、人間は瞳を汚していく唯一の生き物だ。自分の生きる社会が広がるにつれ、人目を気にし、周りに合わせ、心にもない表情をする頻度が増えていく。

ご多分に漏れず床下もそのうちの一人であり、今更曇りなき眼の向け方など知るはずもない。

 

或いはもし、「もののけ姫」を映画館で観たあの時、シシ神様やオッコトヌシにも対抗しうる精神を床下が持ち合わせていたのなら、今頃はアシタカのような人間になれていたのかもしれない...。

非常に残念でならない。今の床下などジコ坊程度の人間力しか持ち合わせていない。悲しみにくれている現在の床下にピッタリなBase Ball Bearの曲があったから貼っておく。辛い。

 

その眼の中で僕はどんな表情していたろう? わからない
花のようにさよなら 涙しか溢れない 嗚呼
その眼の中で僕はきっと生きていたから 堪らない
鳥のようにさよなら 笑顔なんて忘れたよ 忘れたよ 忘れたよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄々感づいているかもしれないが、今回の記事で伝えたかったのは

 

 

 

 

 

 

もののけ姫を観ろ、話はそれからだ

 

ということだけだ。それ以上でも以下でもない。終わる。