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100の質問
6.嫌いな食べ物は?

 

A.禍々しい何かを感じる食べ物

 

まず、この話題に関しては床下の考える「嫌いな食べ物」について話さなければいけない。

 

床下は基本的に「嫌い」という感情を持ちたがらない。物や事の存在は、多数の要因が複雑に絡み合うことで構成されている。

 

前回の記事で青椒肉絲が好きな理由を「青椒肉絲だから」と述べたのと同様に、全ての物事は多くの材料が組み合わさり、それそのものとして存在している。そしてそれらは須らく、自身を認識した上で周囲に対して存在を知らしめている。

 

床下はその存在を否定したくないと思う気持ちが強い。それは、その存在を成立させている全ての要因を否定することなどできないと考えるからだ。

 

床下の愛するBase Ball Bearの「曖してる」という曲のサビではこう歌っている。

 

喜劇でも悲劇でもどちらでもねぇ
デフォルメもバイアスもねぇ
棚分けしようとすんな
曖してるのさ 曖してるのさ 曖してるのさ 曖してるのさ 君も僕も
理屈も魔法も禁止にして
漠然を抱きしめる
この腕すり抜けても
曖してるのさ 曖してるのさ 曖してるのさ
無編集の世界を

 

読んで分かるように「愛してる」と「曖してる」を掛けている。この世には愛のような「言葉じゃどうにも言い表せないよく分かんねえもの」がたくさんあって、それらを言語化することは必ずしも良いことでは無くて、曖しながら愛せばいいんだよという曲だ。

 

前回の記事で触れたが、床下はこの考えには賛同しかねる。自分の中でどうにか理論立てた考えを展開したいと思っているし、愛というよく分からねえもの選手権第1位の概念を追求することは永遠の課題だと思っている。

 

しかし最後の「曖してるのさ 無編集の世界を」というフレーズは非常に共感が強い。ただそこに存在している物事を、誰に手を加えられるでも無く存在そのままの状態で愛したいと思うからだ。だから元々ある1つの悪い要因を見つけたからといっていちいちその存在を否定したくないと思うし、床下の未だ知り得ない良い要因を見つけてみたいと思う。

 

 

 

もう少し分かりやすく言おう。

 

高校時代の床下には、どうにもいけ好かない部活の先輩がいた。

部活指導は要点をまとめていない上に長いし、口を開けば自分の話ばかりするし、

いかにもな先輩風を吹かすし、

そのくせ部内の好きな異性には媚びを売るし、

俺は部活も真面目にやってるけど学業成績は良いと声高らかに言っておきながら平気で志望校に落ちるし、

とにかく悪いところばかり目立つ先輩だった。
※以下この先輩を裏路地と称する(オシャレになるためのストレートパーマが完全に"裏"目に出ていたためストレートと"ストリート"をかけて陰でそう呼ばれていた)

 


床下が大学に入って数ヶ月経った頃、裏路地に街中でたまたま遭遇した。裏路地は一浪して床下と同じ大学に合格し、同学年となっていた。

 

床下は遭遇するなり「お前この前シカトしただろ」と全く身に覚えのない因縁をつけられ、

続いて「同学年とか関係なく先輩なんだから挨拶しろ」と説教され(その通りだが自分で言うことではない上に身に覚えが無いし今は挨拶をしたじゃないかと思った)、

ついには「そもそも俺は浪人経験も無い苦労の知らないような奴は大学生と思ってねえ」と謎の自己正当化理論で止めを刺された。

 

床下はこの瞬間

 

「あぁ、この人のことは心底嫌いだ」

 

と真に思ったものだが、同時にある景色が思い浮かんだ。

 

それは、裏路地の一家団欒の姿だった。

 

裏路地の家族など一度も見たことはなかったが、裏路地とその父母と話に聞く姉とで食卓を囲み、仲良く談笑するイメージが確かに床下の脳内に入り込んできた。

イメージの中の裏路地は幸せに満ちた顔をしていて、目の前にいる裏路地の顔とは似て非なるものだった。

 

床下は困惑し、自分は明晰夢でも見ているのでは無いかとさえ思い、その日の夜は眠ることができなかった。

長い夜の全てを思考に費やすことで、「自分は本能的に嫌いという感情をはねのけている」という結論に至った。

裏路地は確かに床下にとって嫌うべき存在だが、その裏路地も床下の知らないどこかでは愛されるべき存在として生きている。

父に愛され、母に愛され、姉に愛されてこの歳まで生きてきたはずなのだ。床下は、裏路地に対して「嫌い」という感情を抱くことが、裏路地に対する家族の愛までも否定していることと同義だと思えて仕方がなかった。

 

勿論こんな考えを表明したところで「そんなわけは無い」だとか、「嫌いと思うことは自由で、関わらなければいい」という返答が来ることは予測できる。だが、これは自分の力でどうにかなる問題では無くて、床下がこれまで生きてきた環境によって知らず知らずの内に身についてしまった後天的な本能なのだと思う。

 


そして、このような本能が人に限らず全ての物事に対して働いてしまうのが床下という人間なのである。

 

話の本筋に戻ると、床下にはウニと牡蠣という「食べられないもの」が存在するのだが、これらは決して「嫌いな食べ物」では無い。

床下の味覚が生理的に(つまり科学的に定義されている本能的には)この2つの食べ物を否定しているだけであって、先ほど定義した後天的本能は否定すべきだとは言っていないのだ。

だから3ヶ月に1回程度のペースでこれらは食べるようにしていて、「いずれ美味いと言ってやるからな」という気持ちでいる。

つまり床下にとって「嫌いな食べ物」というのは、「味覚的に受けつけないもの」ではないのだ。

 


だが床下にも「嫌いな食べ物」はある。それは「恣意性を感じる食べ物」だ。もっと分かりやすく言うならば「暗躍を感じる食べ物」と言ったところだろうか。


例えばだが、甘いタレで香ばしく焼いた豚ばら肉をアツアツの白飯の上に隙間無く置いた伝統的かつスタンダードな「豚丼」と、全く同じように作った後に丼の真ん中に温泉卵を落とした「温玉豚丼」があったとする。

 

床下はこの2つがあったら、迷うこと無く前者を選ぶ。察しの良い読者なら気付いていると思うが、別に床下は温玉が嫌いなわけではない。

 

むしろ好きだし、ただでさえ美味い豚丼に温玉をのせたらそんなのもう絶対に美味いに決まっている。

 

では何故後者を選ばないのか。

 

それは「温玉豚丼」を考案した人間の「ほら、温玉のせてやったぞ、美味いだろ、もう間違いないだろ」という感情が丼から漂ってきて、床下には臭くて敵わないからだ。

 

前述したが、物事というのは自然な状態で存在しているからこそ、長所短所こそあれど美しく、そしてそれをそのままの状態で認識したいと思っている。

しかしこの「温玉豚丼」は、第三者の介入によって完全に存在の認識を"強いる"ものとな

 

 

 

 

 

 

 

そろそろエッセイめいた文章で長々と説明するのは飽きてきたので単刀直入に言わせてもらう。

 

 

 

味変は自分でやりたいタイミングでやるから、最初っからやるんじゃねえ!!!!!ー!!!!!!!!!!!!!!!!ー!!!!!!!!!ー!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

他にも床下はお菓子の別味みたいなものが嫌いだ。特に抹茶。「ほら、抹茶味だぞ。お前ら抹茶好きだろ、ほらほら。」という製作者側の魂胆が気持ち悪すぎて食べていられない。つまりは入念にマーケティングされた上で作られたものというのが嫌いで嫌いで仕方ないというお話でした。

 


ところで皆さん、抹茶味のお菓子などの着色料はカイコの糞から作られているって知っていましたか?

 


次回はそれについて触れていこうと思います。